2018.04.20

大人の趣味の為のライフスタイルマガジン「IN THE LIFE(イン・ザ・ライフ)」

1988年4月にプレイバック!! 『レイル・マガジン』54号と瀬戸大橋開業

豪華さを表すブライトゴールドやJR西日本のコーポレートカラーであるライトコバルトブルーなどの鮮やかなカラーリングが施された“アストル”。愛称は公募により名付けられた。‛88.3.22 撮影:レイル・マガジン編集部

1988年4月の主な出来事

30年前の大きな出来事といえば、瀬戸大橋の開通である。1988(昭和63)年4月10日に開通した瀬戸大橋は、1978(昭和53)年の着工から約9年6ヶ月を経て本州と四国を結ぶ連絡橋として建設された。同年3月13日の青函トンネルと瀬戸大橋の開通でJR7社の路線がすべて結ばれ、それに伴い行われたダイヤ改正は「一本列島」と呼ばれた。

日本列島を橋やトンネルでつなげる計画自体は戦前から存在していたが、瀬戸大橋の開通をもって、長年の悲願が成就する。

1988(昭和63)年4月11日、現在にも語り継がれる伝説のコンサートが行われた。「不死鳥/美空ひばり in TOKYO DOME 翔ぶ!! 新しき空に向かって」である。当時、美空ひばりさんは肝硬変と大腿骨骨頭壊死を患っており、再起不能とまで報じられていた。実際コンサート当日、万が一に備えて医者や救急車を待機させるなどの対応がとられていたという。そんななかでも彼女は気丈にふるまい、その歌声を会場に響かせ聴く者を魅了した。その様はまさに「不死鳥」であった。

音楽方面でもう一つ大きな話題がある。1988(昭和63)年4月4日から行われたBOØWYのラストライブ「LAST GIGS」だ。当時硬派で革新的なスタイルと、圧倒的なサウンドで一世を風靡したロックバンドのラストライブとあって、11万枚のチケットは一瞬にして売り切れた。この時チケットを求める電話により、回線がパンクしたとの逸話も残っているほどだから凄まじい争奪戦が繰り広げられたのだろう。当日名曲の数々を演奏し、惜しまれながらも歴史に幕を閉じたBOØWYは現在に至るまで再結成をしておらず、「LAST GIGS」は正真正銘のラストライブとなった。

「となりのトトロ」と「火垂るの墓」が劇場公開されたのも1988(昭和63)年4月16日である。二作とも現在でも多くの人に愛される名作であるが、公開当時は意外にも同時上映での興行であった。なんとも贅沢な組み合わせであるが、当初の興行成績は振るわなかったという。両作品は公開終了後徐々に評価され、現在の人気にまで成長した。

この文を書いているときに、「火垂るの墓」の監督である高畑勲さんの訃報を知った。一ファンとして、ご冥福をお祈り申し上げます。

モハ2000・サハ2000・クハ2100の3輌編成の下津井2000形。サハ2000は瀬戸内海の景色が存分に楽しめるように完全なオープンデッキ構造になっている。‛88.3.12 撮影:レイル・マガジン編集部

1988(昭和63)年4月21日に発売された『レイル・マガジン』54号を振り返る

 先にも触れた瀬戸大橋の開通や「一本列島」、さらに1988(昭和63)年4月1日にJRが発足1周年を迎えるなど鉄道業界もかなりの盛り上がりを見せていた。そんななかで発売された『レイル・マガジン』54号では、置換えが進みその数を減らしていた国鉄101系電車を「去り行く101系通勤電車」として特集。もちろん新車についても広く解説し、“ゴールデンエクスプレス・アストル”や下津井電鉄2000形、のと鉄道NT800形などの記事を掲載している。

 同号の表紙を飾った“アストル”は、1987(昭和62)年12月に営業運転を開始した〈ゆぅとぴあ和倉〉を増備するかたちで落成し、団体臨時列車専用とされた。そのため種車であるキハ65の改造時にグレードアップが図られており、エクステリアは“ゆぅとぴあ”をモデルにしているものの、前面・ハイデッカー部の大型窓ガラス採用により、より良好な視界で風景を楽しめる構造となっていた。
児島~下津井間を結んでいたナローゲージ(762㎜)の下津井電鉄では、1988(昭和63)年4月の瀬戸大橋開業に合わせて制服の変更やダイヤ改正などを行っており、下津井電鉄2000形はその一環として「瀬戸大橋博`88」の岡山会場と、下津井瀬戸大橋を眼下に望める鷲羽山との交通機関としての機能を高めるため製作された。
当時続々と登場した新車の中でも、「大正ロマン電車」のイメージコンセプトを掲げた下津井電鉄2000形のデザインは、目を引いたことだろう。

『レイル・マガジン』55号の特集では、「客車列車の現在」として1988年5月現在の客車列車の動向を紹介。また、のちに〈トワイライトエクスプレス〉で使用されることのなるJR西日本「グルメ列車」用のスシ24形など、当時の新車についても解説している。次月はそれらに触れながら、当時の出来事を振り返っていく。

大井工場(現 東京総合車両センター)の一般公開で撮影した、構内入換車“たんぽぽ号”。種車は101系電車(クモハ101-170・クモハ100-802)といわれている。構内入換車とする際、工場建物内の有効長の関係でクモハ100-802の車体長を6m程短くしている。‛88.3.25 撮影:レイル・マガジン編集部(2枚とも)

ARCHIVES

RANKING

POPULAR TAG

NEWS

SEARCH