2018.06.15

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歌うロマンポルノ「昼下がりの音盤」70〜80年代ヌード女優歌謡史

畑中葉子『後から前から』、原 悦子『愛の妖精』

昭和世代の男性なら間違いなく一度はお世話になった日活ロマンポルノ。1,000本以上作られた懐かしの成人映画の主演女優たちが残したレコードの数々は、ジャケットから成人映画館の怪しいムードが蘇ってくる。

 1950年代から60年代にかけ、石原裕次郎や小林旭のアクション映画、吉永小百合の青春映画などで一世を風靡、映画会社大手の一角を占めた日活が成人映画路線=ロマンポルノに大転換したのは1971年11月20日だった。第一回作品は白川和子主演『団地妻 昼下がりの情事』と小川節子主演『色暦大奥秘話』の2本立て。当時大きな話題になったので、封切で鑑賞した諸先輩もいるのではないか。

 時代は高度経済成長まっただ中。オーディオの世界は家具調3点セットからシステムコンポーネントへの移行期で、各社の目玉商品は今や忘れられた4チャンネルステレオ、ソニーのSQシリーズ、ビクターSOUND9などが華々しく発売された時代である。

 その日から2016年11月で45年。ロマンポルノ45周年という、キリがいいのか半端なのか微妙なアニバーサリーを祝し、映画館やCS放送などで『ロマンポルノ・リブート・プロジェクト』と銘打たれた新作公開が行われている。若い頃お世話になった身には大変喜ばしいことだ。

 ただ、当時と現在ではロマンポルノをめぐる状況はだいぶ違う。70年代にはどんな田舎町にも数軒の映画館があり、中でも比較的ボロいのが成人映画専門館だった。ロマンポルノの観客はトイレの芳香漂う怪しくおぞましい暗闇にもぐり込んで、麗しの女優たちのヌードとベッドシーンに耽溺した。そしてその甘美な記憶を自室に持ち帰ろうする場合、ビデオカセットなんていう文明の利器がなかった当時、女優の存在感、息遣いをもっとも生々しく再現するメディアは、レコード、もしくはカセットテープだった。

 ロンマンポルノが終焉するのは1988年6月、奇しくも音楽メディアがアナログレコードからCDにシフトする時期に重なる。ロマンポルノの時代はレコードの時代でもあったのだ。ジャケット写真を眺めていると、甘酸っぱくも淫靡で背徳的な成人映画館体験が蘇ってくる方もきっといるだろう。

 ところで、そもそもポルノ女優たちはなぜレコードを吹き込んだのか。
 最初にレコードを吹き込んだポルノ女優を調べると、1963年8月に『粋なネグリジェ』をリリースした内田高子に突き当たる。内田は1963年に『セクシー女神コンテスト』で優勝、翌年レコードを発売し、下着の透けるネグリジェ姿で歌うエロチックなパフォーマンスで注目された。

 その後彼女は1962年に始まった独立プロが製作するピンク映画の世界にスカウトされ、1965年に『肉体ドライブ』で女優デビュー。つまり原点はポルノ女優が歌ったのではなく、歌手が成人映画女優になったの流れだ。そして"ピンクイーン(ピンクの女王)"と称される人気ナンバーワンの女優になり、東映や日活の映画にも出演しながら歌手活動も続けた。以降、1968年頃を期に東映・大映など大手が続々成人映画に参入、セクシー女優としてレコードを出した大映の渥美マリなどの例もある。

 日活がロマンポルノを始めた後、最初の関連レコードは、サリー・メイの『金髪仁義』と思われる。あまりにもキワモノ然としているのだが、リリースは1972年3月、スリーブには「日活映画『らしゃめんお万・雨のオランダ坂』主題歌」とクレジットがある(映画封切と同時発売)。この時、白川和子も小川節子もまだレコードは出していない。映画『らしゃめんお万〜』は曽根中生監督による女やくざ映画、それも金髪のヒロインがヌードにもなる東映の緋牡丹博徒シリーズのパロディだ。

 これがレコード化されたのは、主役のサリー・メイがもともと金髪演歌を唄う歌手だったからである。彼女は60年代にグループサウンズのシャープホークスに在籍、安岡力也とともにボーカルを担当している。似たような例としては『八月はエロスの匂い』(1972年8月公開)に主演した川村真樹が1971年11月に『涙のハプニング』をリリースしているが、それは彼女がポルノ女優に転身する前の曲だ。

 ロマンポルノ女優のネームバリューで初のレコード発売したのは『色暦大奥秘話』に主演したロマンポルノ女優第1号の小川節子の『紅花物語』(1973年11月発売)と思われる。彼女はルックスがアイドル的でジャケット映えするが、収録曲は梶芽衣子のヒット曲『怨み節』(1972年11月発売)に強く影響されており、やさぐれムードが求められての企画だったと思われる。

 翌年には東映ポルノからロマンポルノへ移籍した潤ますみが映画『現代娼婦考 制服の下のうずき』主題歌『裏町巡礼歌』(1974年7月発売)を出しており、こちらもタイトル通りのやさぐれ怨歌である。
 ロマンポルノ女優レコードの第一のエポックは1975年9月に発売されたLP『おんな不ふてね貞寝の子守歌』で間違いなかろう。白川和子、片桐夕子、山科ゆり、宮下順子、二条朱美、丘奈保美などそうそうたる女優が吹き込んだこのLPはスター共艶の豪華さもさることながら、歌詞や甘え声などお色気の面でも充実した一枚である。こうした企画盤が発売された背景には、当時、ニューミュージックのブームから若者にLP盤購入が定着したことあるのでは。

 この盤を契機にロマンポルノとレコードの蜜月が始まり、主題歌、オリジナルまぜこぜに白川和子、中川梨絵(両者ともこの時期はすでにロマンポルノは引退していた)、田口久美、高村ルナ(もとゴールデンハーフ)、東てる美などが続々とレコード・リリースする。中でも初期ロマンポルノのスター女優、中川梨絵がフォーライフから発売した『踊りましょうよ』(1976年12月発売)は歌手への本格的転向を意識したのか、プロデュースに小室等、編曲・演奏にムーンライダースという豪華な布陣で作られている。

 さて、ロマンポルノ音盤の第二のエポックは70年代末にやって来る。この頃、成人映画業界にアイドルスター・原悦子が誕生した。
 原悦子は1976年にピンク映画からデビュー、それまでのポルノ女優にはない美少女的ルックスで注目され、1978年にロマンポルノに迎えられると人気はヒートアップした。ファンクラブにはなんと70万人が所属し、彼女はロマンポルノにアイドル時代の到来を告げる伝説的女優となった。その原悦子が1980年に発売したLP『はだかんぼ』は5万枚を売上げ、ビクターレコードは彼女にシルバーディスク賞を贈った。

 原悦子をきっかけに、ロマンポルノには続々とアイドルが誕生する。原悦子のポルノ卒業と交替するようにデビューした寺島まゆみは〝ロマンポルノの聖子ちゃん〟と呼ばれ、演技のほかに音楽的才能を発揮する。ライブ活動を精力的にこなしてシングル盤7枚、アルバム4枚とミュージシャン並のリリースをした。後期のアルバムは宇崎竜童が曲提供するなどニューミュージックとしての完成度も非常に高く、ポルノ女優のレコードという域を超え
ている。
 また歌謡界のアイドルだった畑中葉子が同年9月『愛の白昼夢』に出演、公開にあわせエロチックなムード満点
の名曲『後ろから前から』を発売したことも重要な出来事だった。
 この頃からロマンポルノ女優のレコードのアイドル歌謡的要素がぐっと濃くなり、『裏切り人形』(1982年発売)ほか5枚のシングルを出した美保純、デビュー作一作きりロマンポルノだが、その後完全にアイドルに転向して『春感ムスメ』ほか4枚のシングル、2枚のLPを出した可愛かずみなど逸材が続々と登場。1985年6月に小田かおる、青木琴美、井上麻衣の人気女優3人が結成したピンクキャンディーズの『背中にご用心』なども話題になった。
 しかし、80年代中頃を境目にロマンポルノはアダルトビデオに人気を奪われ衰退していく。
 同年11月発売、4曲入り12インチシングル『恋はSparkin'』は亜美、恵里、真衣の3人の女優で結成されたグループ、聖女隊のデビュー盤だが、元ネタのアイドル・少女隊がパッとしなかったこともあって、彼女たちは『生撮り解禁ツアー むしられたビキニ』以外に出演することはなかったし、レコードも一枚こっきりで消えている。
 その後、純粋な成人映画女優という存在もなくなり、小林ひとみなどAV女優が兼業でロマンポルノに出演する時代になった。
 1988年、最初の8センチCDシングルが発売されるのと機を同じくしロマンポルノの終了が発表される。まさにロマンポルノはアナログレコードともに使命を終えたのだ。

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