2018.04.24

大人の趣味の為のライフスタイルマガジン「IN THE LIFE(イン・ザ・ライフ)」

地方で叶える"しあわせな働き方"とは

 島根県・海士町は人口約2,300人の小さな島だ。昨今、この小さな島に若い人たちが続々と移住しているという。彼らが手にしたのは、東京や大阪などの大都市では到底得られない、地方ならではの"しあわせな働き方"だった。

Prologue「自然豊かなこの島が多くの人を引き寄せる」

 日本海の島根半島の沖合約60キロに浮かぶ隠岐諸島。その島のひとつが島根県隠岐郡海士町(しまねけん おきぐん あまちょう)だ。対馬暖流がもたらす恵みを受けた海と、名水百選にも選ばれた「天川の水」などの湧き水に恵まれ、海士町は昔から資源豊かな島として知られている。現在の島の人口は約2,300人。だがその小さな島は今や、多くの自治体が視察に訪れ、テレビや雑誌などのメディアが熱い視線を注ぐ、注目の"離島"なのである。

 多くの地方自治体と同じく、海士町もまた過疎化や少子高齢化、財政悪化の問題を抱えていた。

 しかし、海士町はこの多くの困難に立ち向かうべく、行政と島民が一体となって「自立」「挑戦」「交流」をスローガンにさまざまな取り組みを始めた。行財政改革に始まり、産業振興として、魚介の鮮度を保ったまま都市へ出荷できる「CAS凍結システム」の導入や、「いわがき春香」「隠岐牛」「海士之塩」などの特産物のブランド化、「島前高校魅力化プロジェクト」など、多岐に渡る施策を実行した。それらは時間をかけて徐々に実を結んでいき、たくさんの人たちに海士町の魅力を伝えていった。

 その結果、東京や大阪など大都市圏からも移住を希望する若者たちが増えていき、現在の島民約2,300人のうち、移住者が約1割強を占めているという。

 本島からフェリーで2〜3時間はかかる遠い島。豊かな自然はたくさんあるが、コンビニも映画館もない。都心と比べたら圧倒的に無いものが多いこの島に移住を決めた人たちの働き方から"地方で叶えるしあわせ"とは何か探ってみよう。

海士町観光協会/マルチワーカー:太田章彦さん

 大阪の専門学校で写真を学んだ太田章彦さんは卒業後、祖父母の住む島根県に戻り、限界集落をテーマに写真を撮っていたが、その土地でずっと暮らしていくイメージが持てずにいたという。そんな中、海士町に住む知人を通じて島に興味を持ちはじめた太田さんは、移住を決意。現在は写真家としての活動と並行して、海士町観光協会に所属し「マルチワーカー」として働いている。

 マルチワーカーとは、多数の仕事を幅広く行うこと。単独で年間雇用が難しい企業が多い海士町では、最も適した働き方といえる。太田さんの場合は、春は岩牡蠣の生産現場へ、夏は観光ホテルへ、秋はイカなどの海産物の冷凍処理加工へ、冬は人手を募っている場所があれば島外にも出向いて働く。常に繁忙期の現場を渡り歩くので、心身共にタフでないと持たないが、太田さんはそんな状況を楽しんでいるようだ。

 その理由をたずねると「現場が好きだから」。太田さんの中では、派遣される現場の数だけ、自己実現の可能性が秘められているという。「もう一つ、僕がマルチワーカーを続けられる理由は写真を撮っていることが大きいと思います。冬の漁は本当に寒くて大変なんですけど(笑)、そこで1枚でも2枚でもいい写真が撮れたらOKなんです。このつらい経験がなければ絶対に撮れない写真ですから。僕はカメラがあれば、どんな現場でも楽しめる(笑)」

 今後はこのマルチワーカーの制度を利用して、新たな中長期滞在型の観光商品を作りたいと話す太田さん。いずれは日本の離島間で仕事を通じた人材交流ができるようになりたいそうだ。

巡の環:浅井峰光さん

 2016年6月に海士町に移住した浅井峰光さんは、高校の先輩にあたる阿部裕志さんが代表を務める「巡の環」のスタッフの一人として活動している。前職は愛知県のある企業の後継者として経営業務に携わっていたが、引継予定が大幅に延期となり、「これはやばい」と独立を決意した。今後は「働き続けたい」と思える企業を増やすことに貢献したいと、以前から興味のあった海士町へ勉強の意味もあって移住したという。

「ボクは若者が働きやすくて成長できる企業の存在が、地域力に大きく関係すると思っていました。海士町は、企業という小さな単位ではなく、島全体でそれに取り組もうとしていた。そこに面白味を感じたんです」

 浅井さんが働く「巡の環」は、代表・阿部さんが「地域づくりや教育、メディア事業を通じて、持続可能な新しい社会と暮らしを探る」ことを目的として起業した会社だ。メインとなる事業は、大企業の中間管理職を対象とした研修プログラム。大企業であるがゆえにオーナーシップを持ちにくい30代の社員を中心に、島の取り組みを間近に見てもらいながら、オーナーシップを持って働くことの良さ、どういう社会を築いていくべきか、そのために会社をどのように利用していくかを学んでもらう。浅井さんはこのプログラムのコーディネーターとしての役割も担う。

「五感塾っていうんですが、五感を使って気づく力を高めることを目的にした研修です。ボクも2回目に海士町に来た時に参加しましたが、島の良さを"研修"に仕立てて提供することがビジネスとして成り立つことに驚きと新鮮さを感じました」

 浅井さんが海士町で働くもう一つの理由は、地元の愛知県・長久手のためでもある。高齢化が進む海士町のさまざまなチャレンジは30年後、同じく高齢化を迎える長久手の地域活性化のヒントになると浅井さん。近い将来、世代交代を迎える海士町の次なるチャレンジこそ、汎用性あるモデルケースとして応用できるはずと期待している。

植木職人・畜産:藤本淳さん

 東京や神奈川で植木職人として働いていた藤本淳さんは、林業への興味から高知県へ移住したが、一足先に移住した奥さまの後を追って、3年前に海士町へ。移住後は森林組合に所属し、山の整備に従事。そして、2017年6月からは海士町のブランド牛・隠岐牛を育てる井上静雄さんの牛舎で働きながら、島で唯一の植木職人としても活動を始めた。

「前から畜産にも興味があったので、知識と経験豊富な井上さんの牛舎でお世話になることにしました。牛舎が忙しい時間だけ働いて、空いた時間は植木職人として働いています」

 島では庭の手入れをするのは、その家の住民の仕事だったそうだが、高齢化が進む今、藤本さんに仕事を依頼する人は増えているという。藤本さんにとっては約5年ぶりだという植木職人としての仕事も、足掛け10年で培った技術と知識は衰えることなく、体がしっかりと覚えているそうだ。

「林業への未練もあるけれど、今は専業でやらなくてもアプローチの仕方はいろいろあると思っています。今の夢は、昔の林道を復活させることですね。そこをトレッキングコースとして使用してもいいし、おじいちゃんたちの散歩コースにしてもいいなって。海士町に来てから、自分で働き方を決めすぎず、流れに任せてみるのもいいんだなって思うようになりました。意固地になってやっても疲弊するばかりですしね(笑)」

農業:フランク・ムラーさん

 宇受賀地区の高台に位置する農園「Müller's Farm(ムラーズファーム)」を経営するフランク・ムラーさん。ロンドンで知り合った海士町出身の奥さまと結婚し、2014に海士町の魅力にはまって移住した数少ない外国人の一人だ。

 「Müller'sFarm」は、当時まだ水道も電気も通じていなかった荒れ地をムラーさんが一人で開墾した農地で、少しずつ手を加えていき、現在は80羽の鶏の飼育と共においしい有機野菜を育てている。

「休暇で訪れた海士町にボクは恋をしたんだ。以前からずっとやってみたかった農業を、海士町でできることはとてもうれしい。ドイツでは10月から3月くらいまで農業は休みになるんだけど、ここでは1年を通じてずっと働いているね(笑)」

 農園には、ムラーさんが廃材を利用して作ったという鶏小屋やビニールハウスがある。元大工さんというだけあって、その出来栄えはプロも顔負けだ。そして、雨水や湧き水で土を潤した畑には、岩牡蠣やサザエの砕いた殻や野菜くずを与えて育った鶏の糞を肥料として撒き、日本ではまだなじみのない西洋野菜を中心に育てている。ビニールハウスには色鮮やかなプチトマトが実り、収穫を待ちわびる。

「通年で味わえるものもあるけど、ここでは旬のものも大切にしたい。それをおいしいといって食べてくれる人がいることがうれしいんだよ」

と話すムラーさん。今では、ここで採れる卵や野菜が新鮮でおいしいと口コミで評判が広がり、東京にも卸すほど大人気だ。豊かな自然の中で作物を育てることはその恩恵を享受することもたくさんあるが、その反面、厳しい現実を突き付けられることも多々あるそうだ。台風の影響でビニールハウスが壊れることもあれば、作物が虫の被害にあうことも。それでもムラーさんがこの仕事を続けるのは、「ボクにとっては、ここでの働き方がライフスタイルそのものだから」だという。

 最近、農園には子ヤギのリリーちゃんが仲間入りした。これまでもビールやソーセージなどを作ってきたそうだが、今後はリリーちゃんの乳でチーズやアイスクリームなども作っていきたいという。まだまだ完成形ではないとばかりに農園に手を加えるムラーさんの楽しみは、今後も広がるばかりだ。

海士町教育委員会 地域共育課 集落支援員:森佑樹さん

 海士町のコミュニティ施設「あまマーレ」の運営管理に携わる森佑樹さんは、生まれ育った京都を離れ、海士町に"就職"した。現在は海士町教育委員会の集落支援員として、「あまマーレ」を訪れる多才な人やユニークな人の魅力を多くの人に伝える場づくりを目指し、さまざまなイベントを企画・実行している。

 例えば、「ママ会ばっば交流会」は、島のおばあちゃん(ばっば)と移住した若いママたちが、世代を超えて交流できるよう、地元の集落支援員が企画したイベントだ。ママたちは伝統の島ご飯を作り、その間、ばっばたちが子どもたちの世話を引き受ける。その他、ワークショップなどを開催し、多くの人たちに喜ばれている。

「ここに住んでいる人は本当に純粋で、自分の生き方に真っ直ぐな人が多いので、ボクも自然と素直になれます。皆さんともっと対等に話せるようになりたいから、もっともっと知識を得なきゃと思いますね。地元の友人たちは"仕事が辛い"というんですが、ボクは一度も辛いと思ったことがないんです(笑)」

 1年を通じて海士町は自然が豊かで、人との繋がりが深いことを実感したと話す森さん。今は島での暮らしを楽しみつつ、ここで何ができるかを仲間と共に考える。島にとって“必要な存在”であることが、森さんの弾ける笑顔から伝わってくる。

あまマーレ

 2009年、海士町に住む人々が気軽に集う場所としてオープンした「あまマーレ」。2014年には、集落支援員が常駐となったことから、"海士町のあそび場"として島民、Uターン、Iターン、観光客同士が世代を超えて交流できる場として活用されている。

 元保育園を再利用した施設内には、解体する家屋などから譲り受けた家具や食器などを手ごろな価格で提供する「古道具やさん」や、“島まるごと図書館構想”の一環である「図書館分館」、コワーキングスペース「co-ba ama」、週3日の午後に「NPOしぜんむら」が運営する「お山の教室」がある。全国に17カ所ある「co-ba NETWORK」のひとつである「co-ba ama」には多様な業種や年齢の人が集まり、仕事はもちろん、施設内のイベントを考えたり、学生が読書や勉強のために利用しており、親しみを込めて別名「あまマーレの勉強部屋」とも呼ばれている。

海士町役場 地産地商課:寺田理弘さん

 寺田理弘さんが海士町への移住を決めたのは、今から6年前。26歳のときだ。それまでは東京のIT企業で商品開発の仕事に携わっていたが、ある日海士町に住んでいる友人から「仕事ならあるよ」と誘われたことをきっかけに移住を決意。以前から憧れていた田舎暮らし、島暮らしを実現することになった。

 移住後の寺田さんは、集落支援員として、地元の若者や他の移住者と共に、地域がより元気になるための自立サポートを行う。そして、今は海士町役場の地産地商課の水産担当として、海士町の漁業に関する業務に携わる他、サザエの保存法や調理法を記したパンフレットの製作などを手掛け、地元特産物のPRや消費拡大に繋がるさまざまな取り組みを行っている。

 今や全国の自治体やメディアが「離島の成功例」として注目している海士町だが、実際に住んでいる寺田さんの目に映るのはまだまだ厳しい現実だ。漁師をはじめ、第一次産業を担う働き手の高齢化は深刻な問題であり、寺田さんは後継者育成のために日々奔走している。

 寺田さんが所属する"地産地商課"は、地域の特産で島に利益をもたらすために作られた部署だ。「自立・挑戦・交流」を掲げる海士町への「恩返し」として、地産地商課・寺田さんの挑戦はまだまだ続く。

デザイナー:南貴博さん

 東京の大手広告代理店のデザイナーとして、第一線で活躍していた南貴博さんは、40歳を目前に今後の働き方を考えて独立を決意。退職前の休暇中に友人・藤本淳さんのいる海士町を訪れ、その魅力の虜になった。「海士町はIターンの人も多く、地元の人たちが島を良くしようと努力している。こんな島が日本にあるのかと衝撃を受けたんです。本当は東京で独立を考えていたんですけど、ここならおもしろいことができそうだと思いました」

 移住後は東京のクライアントからの仕事をこなしながら、海士町でもデザインの仕事ができたらいいなと思っていたそうだが、実際に住み始めてみると、思った以上に海士町や隠岐諸島の仕事が多く、忙しかったそう。そのため、最近では、東京で共に働いた仲間たちに声をかけ、一部を手伝ってもらっているとか。

「以前は、海士町からの仕事は海士町に住んでいる僕がやらないとダメだという使命感がありました。だから、これまで僕がストックしてきた知識や経験、考えをデザインとして発信してきたんですが、そろそろ新しい風を入れてもいいかなって思って。東京にいる知人たちに声を掛けて、観光も兼ねて打ち合わせに参加してもらったんです。そうしたら、みんな目をキラキラさせて"楽しい"って(笑)。“新しいものを作る”という単純なことにクリエーターとしての血が騒ぐのかもしれませんね」

 今後は自宅の一部を改装して、コワーキングスペースをオープンする予定だという南さん。「co-ba ama」の延長として、島の人はもちろん、観光で訪れた人も仕事ができる場にしたいと考えているそうだ。

「海士町の人たちの働き方は、多様的で流動的なんです。自分の能力を生かす場が一つとは限らない、マルチワーカーが多い。この場所を拠点に、さまざまな取り組みが始まればいいなと思うと共に、海士町から学んだ"本来の仕事のあり方"を伝えていきたいと思っています」

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