2018.05.08

大人の趣味の為のライフスタイルマガジン「IN THE LIFE(イン・ザ・ライフ)」

1000MIGLIA『歴史に敬意を表する趣味人たちによる、本気の遊び』

1927年から57年までの31年間開催された、世界で最も有名な公道都市間レース。それがミッレ・ミリアだ。1982年にヒストリックカーレースとして復活して以来、再び世界の自動車ファンの目を釘付けにしている。

チシタリアの紋章をジャケットにつけて登場

1900年頃、公道都市間レースはほぼ絶滅していた

1948 CISITALIA 202SC Berlinetta Pininfarina

第二次世界大戦後、実業家のドゥジオとトポリーノを設計したダンテ・ジアコーザ、フィアットの航空機エンジン技術者のサヴォヌッツィが興したチシタリア。202は1947年に生まれたチシタリア2作目。

 今でこそ、クルマがレースをする場所はクローズドコースと決まっている。だが元来──クルマがまだそれほど普及しておらず、見かけることすら珍しかった時代──は、レースは当然のように一般道で行われた。クルマの目的は、できるだけ遠くにできるだけ早く到達すること。それゆえ都市と都市の間をどれだけ速く走れるかというのは、クルマに課せられた命題だったのである。観客は自宅からすぐ近くの沿道に出れば激しい戦いを愉しむことができたから、PR効果が高いというメリットもあった。だが当然ながらそれは大きな危険を伴った。やがてクルマが街に溢れ、クルマの性能が上がるに連れて公道都市間レースは姿を消していく。それは1900年代初めの頃のことだった。

全ての道は、ローマに通ず

1956 Mercedes-Benz 300 SL

1952年、メルセデス・ベンツは300SLプロトタイプでミッレ・ミリアに参戦、2位と5位を獲得する。その3年後の1955年。スターリング・モスやファンジオら超一流のドライバーを擁し、万全の体制を敷いて300SLRを投入、1-2フィニッシュを飾った。“普通”の300SLもGT部門でクラス優勝を飾り、ミッレ・ミリアの歴史に名を刻んだ。

 そんなわけだから、ミッレ・ミリアがスタートした1920年代に公道都市間レースを行うというのは、ほとんど狂気に近い考えだった。
 当時モータースポーツの本場として隆盛を誇っていたブレシアに住む若きレーシングドライバーやモータースポーツ・ジャーナリストが思いついたのは、ブレシアからイタリア人の心の拠り所たるローマまでを走ること。だがスタートとゴールの場所が違うことによる煩雑さを避けるため、ローマを折り返し地点にしてブレシアをスタート&ゴール地点にすることを決めたのだった。MILLE MIGLIAという名は、たまたまその距離がおよそ1000マイル=約1600kmだったから。彼らの思い付きは周囲を巻き込み、1927年、記念すべき第一回が行われたのであった。

初年度の優勝タイムは21時間、平均速度77km/h

 1927年から57年までの31年間で、ミッレ・ミリアは24回開催された。もちろん細かいルートは毎年異なるものの、ブレシア〜ローマ〜ブレシアを走るのは共通。例外は1940年で、1938年に起きた死傷事故により39年は中止となり、その翌年1周160kmの閉鎖されたサーキットを9周した。これはミッレ・ミリアを継続させるためにムッソリーニ政権が指示した妥協案だった。
 1927年は77台が参加し、2リッター6気筒を搭載するOMが優勝した。所要時間は21時間あまりで、平均速度は約77km/h。ほとんどの道が未舗装であること、そしてアウトストラーダがないことを考えると、クルマもタフでなければならず、ドライバーにも腕と体力と勇気がなければ実現できない数字であることは容易に想像がつく。

新婚旅行がミッレ・ミリアだなんて!

1955年式ポルシェ356 1500スピードスター。ボディには「JUST MARRIED」の文字が。バンパーから吊るした缶は、カラカラ鳴るというよりもズルズル引きずっていた。

こちらがその新婚カップル。新婚旅行がミッレ・ミリアだなんて、どれだけ幸せなことか。道中、クルマにも二人にもトラブルが起こらなかったことを祈りたい。

戦後はフェラーリが圧倒的な強さを発揮

1948 Healey 2400 Elliott Saloon

第二次世界大戦後、ドナルド・ヒーレーが初めて世に送り出した、自身の名を冠した一台。同時にWestland Roadsterも発表したが、共にラダーフレームとライレーのエンジンを搭載し、このサルーンは世界一速い4シーターとも言われた。

様々なカロッツェリアがボディを架装した時代

1955 Alfa Romeo 1900 Super Sprint Pininfarina

第二次世界大戦後、量産メーカーを目指したアルファ・ロメオの初のヒット作となった1900シリーズ。スーパースプリントは2リッター直4にツインキャブを装着し、115HPを発揮。ピニンファリーナの他、様々なカロッツェリアがボディを架装した。

フェラーリは1948年から6連覇を果たす

1950 Ermini 1100 Berlinetta Motto

1920〜30年代、ブガッティやタルボのメカニック兼ドライバーだったPasquino Erminiは1949年にオリジナルの1.1リッターDOHCエンジンを開発する。こちらはMottoがデザインしたエレガントなクーペボディを被せた1台。

1948 Stanguellini 1100 Berlinetta Bertone

戦後、イタリア・モデナで天才ヴィットリオ・スタンゲリーニが興したレーシングカーメーカー。ミッレ・ミリアやタルガ・フローリオで小排気量クラスを総なめにした。こちらはベルトーネがデザインしたエレガントな4シーター・クーペ。

1953 Ferrari 212 Inter Coupe Pininfarina

前ページの212エクスポートとその成り立ちは似ているが、エンジンは基本を同じくする2.6リッターV12ながら、このインターの方が圧縮比が低く、出力も15HP低い150HPに留まる。フェラーリのルーフにトランクを積むなんて、素敵じゃないか!

遊びは遊び、なれど本気で遊ぶのが流儀

 時代は一気に進み1982年。ブレシア自動車クラブの面々は、かねてから画策していたミッレ・ミリアの復活を実現させた。往時のようにスピードを競わせることは不可能。そこでブレシア〜ローマ〜ブレシアというコースを踏襲し、1957年までのミッレ・ミリアに参戦したことのある車両の同型車のみが参加できることを条件とした、イベント色の強いヒストリックカーレースとしたのである。
 遊びは遊び。だが本気で遊ぶのがミッレ・ミリア流。多くの参戦車両はノートラブルで完走を果たせるほど整備が行き届いているし、参加者の着こなしも実に上手い。ヴィンテージテイストを追求しただけでも、スタイリッシュなだけでもない。輝かしい歴史に敬意を表している様子が感じられる。

往時のスタイルに忠実なアストンのレーシングスーツ。

エスタフェとVWバスの救急車はどちらもゲスト参加。

ブリキのオモチャみたいな"なんちゃって"参加車両。

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