2018.06.15

大人の趣味の為のライフスタイルマガジン「IN THE LIFE(イン・ザ・ライフ)」

チーズとマセラティをこよなく愛する男の至極のコレクション

1972年、30頭の牛からチーズ作りが始まった

パニーニ家が所有するチーズ工房「Hombre」は、酪農からチーズ生成、販売まですべてを行っている。現在は一日に6,000リットルの牛乳を生産しているが、それは全てチーズの原料となる。

ドライバー後頭部のフェアリングがスタイリング上のアクセント。地肌むき出しのアルミボディは美しく磨かれており、状態の良さを物語っていた。一般公道でも相当楽しめそうな1台。

 今でこそ安定的な経営が成り立っているものの、マセラティはここに至るまで紆余曲折を経てきた。

 マセラティ兄弟が1914年に設立したが、第二次世界大戦後に経営権を引き継いだオルシとの確執により彼らは会社を去る。その後68年よりシトロエンの傘下に、そして75年よりデ・トマソの傘下にと"親"を変え続けたが、93年より今に至るまではフィアット・グループの一員に収まっている。

 経営母体が次々と変わる中、オフィシャルのコレクションが売却される事態が起こってしまう。96年に、デ・トマソが所有していた19台のコレクションがオークションにかけられることとなってしまった。モデナの至宝が失われてしまうことを恐れた市長や文化大臣はその解決策を探し、チーズ工場を経営しているエンスージアストのパニーニ氏がその全てを買い取ることで決着したのだった。

保管庫の天井いっぱいまでうず高く積まれたパルミジャーノ・レッジャーノのホール。1ホールを作るために、500リットルの牛乳が必要になるという。

ツインウェーバーを組み合わせた当時の定番エンジン、コヴェントリー・クライマックスを搭載。手慣れた様子でスロットルを操作し、アイドリングを安定させた。

ランブレッタの関係者と懇意だったというウンベルト氏が遺した切り抜き。ランブレッタは1940〜50年代に開催されたレースで、輝かしい戦績を持っている。

「コーリン・チャップマンのストーリーが好き」

 1930年生まれのウンベルト・パニーニ氏は、メカニックとしてスタンゲリーニやマセラティなどに携わった後、子供用のステッカー〜日本のプロ野球カードのようなもの〜を製作することで財を成す。そして1972年に彼の夢であった農場を購入した。30ヘクタールの広大な土地に30頭の牛を飼い、チーズ工房として"Hombre"(http: www.hombre.it/)がスタート。牛の餌はオーガニックに拘り、生育環境も充分に配慮されている。今では一日に6,000リッターの牛乳を生産し、それは極上のパルミジャーノ・レッジャーノに生まれ変わる。

 ウンベルト氏は2013年11月に亡くなられ、息子のマテオ氏が会社とコレクションを受け継いでいる。40代半ばの彼もクルマを愛しており、ロータス11は彼が購入した。
「僕はマセラティの他にロータスも好きなんです。コーリン・チャップマンに惹かれます」

マテオ氏が購入したロータス・イレブン

LOTUS 11"ELEVEN"/1956年、マーク8、9より軽量コンパクトな11がデビュー。11より頭の"マーク"が消え、単に数字で呼ばれるようになった。小径のパイプを用いたスペースフレームと、空力的に優れたボディを持つ。ブレーキは四輪ディスクで、リアはインボードマウントを採用する。

スターリング・モスが駆った伝説の名車

1958 MASERATI 420M ELDORADO/250Fのシャシーに450Sのフロントサスペンションを組み込み、同じく450Sの4.5リッターエンジンを4.2リッターに縮小して搭載。1958年のミッレ・ミリア・モンツァで7位を獲得。欧州で初めて一般メーカーのフルスポンサードを受けたレーシングカーでもある。

「父はエンジンのついたものは何でも好きでした」

マセラティTipo63。1960年に開発された当初は2890cc直4エンジンを搭載していたが、翌61年にはル・マン24時間に参戦するために作られた250Fの2989ccV12エンジンに換装した。タルガ・フローリオで総合4、5位、ル・マン24時間で総合4位を獲得した。

 のどかな田園風景が広がる、イタリアはモデナ郊外にあるHombreの農場。その広大な敷地の中に珠玉のマセラティが生息しているとは、知らなければ到底想像もつかないだろう。

 コレクションを収めるために作られたと思しき立派な造りの建物は、1階には主にマセラティが、2階にはゆうに100台はあろうかという数のバイクや自転車が並んでいる。ここに写真を掲載できていないマセラティをざっとご紹介すると、A6GCS53ベルリネッタ・ピニンファリーナ(1953)、A6G54、250F(1957)、ミストラル(1965)、クワトロポルテ・ロイヤル(1989)、チュバスコ(プロトタイプ/1990)、ギブリ・オープンカップ(1996)、バルケッタ・ストラダーレ(1991)……といった具合。ここにあるマセラティを紹介するだけで一冊の本ができるだろう。

 「父はエンジンがついているものなら何でも好きでした。建物脇にはたくさんのトラクターがあったでしょう? それも父の趣味です。アメリカの戦車を集めていたこともあったんですよ」とマテオ氏。

マセラティTipo61 Drogo。直径10〜15mmという細いクロモリ鋼管を無数に組み合わせることで、わずか30kgという軽量のスペースフレーム、通称バードケージを採用した初のモデル。こちらはピエロ・ドロゴがオリジナルのボディを被せたモデル。

レアなマセラティのバイクも所蔵

1930-40's BMW R12/世界で初めて、テレスコピックフォークをフロントサスペンションに採用したモデル。約2万台を民生用、約1万台を軍用として生産した。エンジンは750ccの空冷2気筒。

1950's Maserati 125/T2/1947年から60年まで、マセラティはバイクも手掛けていた。こちらはDKWをベースとした非常にレアなモデルで、123ccの単気筒2ストロークエンジンを搭載している。

1920's Scott Super Squirrel/1908〜1978年に存在したイギリスのバイクメーカー、スコットが20年代に製造したSquirrelの進化版。まるでオイル缶のようなガソリンタンクやラジエターが印象的。

「マセラティにはパッションがある」

1973年、ギブリの後継としてデビューしたカムシン。ギブリより短く広く、直線基調のウェッジシェイプが特徴。デザインはベルトーネで、エンジンは280HPを発揮する4930ccV8を搭載。

 ビジネスマンとしての才能、そしてエンスージアストとしての熱意は父親譲りのマテオ氏。

「パルミジャーノ・レッジャーノとマセラティはどちらもモデナで生まれました。さらにどちらもパッションを持って接しなければいけません。だから私はチーズにもマセラティにも愛情を注いでいます。唯一の違いは、マセラティは走らせれば残念ながら世界を汚してしまうということくらいです」

 そうは言いつつも、彼はマセラティを走らせるのも大好き。それは主にサーキットだという。

「イモラ、バレルンガ、ニュルブルクリンクなど、様々なサーキットを走りますが、特に好きなのはニュルですね。2003年のヨーロッパ選手権にも参戦しました」

 パルミジャーノ・レッジャーノ、マセラティ、そして自らを育んでくれたモデナを、彼はこれからも愛し続けていくことだろう。

ジウジアーロがデザインしたプロトタイプで、インディの後継として1973年のトリノ・モーターショーで"124"と名づけられて発表された。完成度は高いが、残念ながら市販には至らず。

上記、1973年のプロトタイプ"124"の内装。非常に豪華な造りが印象的だが、基本的なデザインはカムシンに近く、兄弟車として企画されたことが伺える。

マセラティ初の市販ミドシップとして1968年にデビューしたボーラ。メラクはそのコンポーネンツを流用しつつ、弟分として1972年にデビューした。こちらは1980年式ターボ・プロト。

一台たりとも見逃せない垂涎のコレクション

第二次世界大戦直後にデビューした、マセラティとして初めての純粋な市販ツーリングカー、A6-1500。1946年から50年の間に60台が生産された。デザインはピニンファリーナ。

ギブリ・スパイダーやシムン・プロトティーポ(1968年発表の2+2クーペ)、チュバスコ・プロトティーポ(1990年発表のスーパースポーツ)など、垂涎のコレクションが並ぶ。

フォーミュラ・グランプリを戦うため1934年に開発され、ヌヴォラーリが操ったマセラティ6C/34のシンプル極まりない運転席周り。モデナGP、ナポリGPで優勝を獲得した。

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