2018.05.21

大人の趣味の為のライフスタイルマガジン「IN THE LIFE(イン・ザ・ライフ)」

イタリアヴィンテージの殿堂的博物館 MUSEO NICOLIS

『世界でもトップクラスの規模を持つ私設博物館』

 1933年、ヴェローナに生まれたルチアーノ・ニコリス。彼の家庭は決して裕福ではなかった。父親は自動車を買うことはできず馬が唯一の交通手段で、廃品回収の仕事に就いていた。第二次世界大戦後の1950年代初頭、戦前は価値があったものが、直せば使えるくらいの少し壊れた状態で、タダ同然で廃品として出回ることが多くなった。それらの鞄や自動車の中には貴重なアクセサリーが入ったままになっていることもあり、ルチアーノ氏の父親はそこから財を成すことができた。そしてルチアーノ氏は、頻繁に回収されてくる自動車の影響で、メカに興味を持つようになり、後年紙のリサイクル業で大きな成功を手にしたとき、個人では持ちきれないほどの自動車やバイクやカメラのコレクションを持つようになった——。

1951年式ザヌッシィ1100スポルト。フィアットをベースに、フィオラバンテ・ザヌッシィが美しいバルケッタボディを被せた。ザヌッシィはドロミテなどで活躍したドライバーとして有名。

『自動車からタイプライターまで』

1960年式マセラティ3500GTスパイダー。マセラティがロードカー・メーカーになる契機になったと言える一台。ミケロッティがデザインを手がけ、ビニヤーレがボディを製作した。

戦後の量産モデル、フィアット1100Eをベースに可愛らしいコンバーチブル・ボディを被せた1950年式フィアット1100E Vistotal。フロントウインドーはピラーレスとなっている。

 ルチアーノ氏は、自身のコレクションを集めた博物館「ムゼオ・ニコリス」を2000年に開館した。床面積6000㎡の大きなビルの中に、大きく分けて7つのコレクションが収められている。それは100台以上の自動車、120台の自転車、105台のバイク、400のカメラ、120の音楽機器、100のタイプライター、そして小さな飛行機たち。その中で最も大きな位置を占めるのは自動車である。ルチアーノ氏は2013年に亡くなったが、実娘のシルビア氏が博物館を受け継いだ。
「ここには特に大切なモデルが3つあります。まず、1882年にエンリコ・ベルナルディが作ったガソリンエンジン搭載の3輪車。次に、当時イタリアで最もラグジュアリーなサルーン、1929年式イソッタ・フラスキーニ・ティーポ8。そして最後が1939年式ランチア・アストゥーラ・ミッレミリア。ミッレミリアを戦うために作られたスポーツカーですが、腕時計の密輸の道具として使われ、スイス警察に差し押さえられていたのです。それを父が手に入れ、イタリアで長い時間をかけてレストアしたのです」と話してくれた。

ルチアーノ・ニコリス氏は稀代のエンスージアストとして世界にその名を知られており、イベントにも数多く参戦していた。これは1987年のミッレ・ミリアで使われた刺繍。

戦前のクルマも数多く展示されている。これは後席の住人が、ドライバー=使用人に言葉を発することなく「止まれ」「帰宅しろ」との指示を表示する表示器。

1936年、9月13日にモンツァ・サーキットで開催されたフォーミュラ選手権のパンフレット。ヌヴォラーリ、ローゼマイヤーといった伝説のドライバーの名が並んでいる。

ムゼオ・ニコリスがヒストリックカーレースに出場するために仕上げたというBMW 2800CS。残念ながら博物館には展示されていないが、非常にセンスよくまとめられている。

『ユーズドがヴィンテージに変わってきた』

バイクもクルマと同様に戦前のモデルも多いが、こうした70〜80年代のレーサーも展示されている。一番手前はフレーム製造メーカーとして船出した1980年式ビモータ。

ルチアーノ氏になくてシルビア氏にある趣味といえば、鞄や宝石、時計だという。こうした展示物が、今後ムゼオ・ニコリスには増えていくことだろう。

 映画女優のように美しいシルビア氏だが、コレクションされている名車のステアリングを自ら握りヒルクライムのイベントに出場する、生粋のクルマ好きでもある。
「本当に素晴らしいものは、作り手の魂がこもっていて、使う人にもそれが伝わってきます。しっかり手をかけてあげれば、古いものであっても、今も十分使うことができます。その想いを伝えたいから、ムゼオ・ニコリスにあるクルマは全て実走可能な状態を保っているのです。今はブランド名だけでモノを選ぶ時代なのかもしれませんが、昔のいいものには、時代背景や作った人々のストーリーがあります。この博物館を訪れた人には、それを持ち帰っていただきたいのです。今の時代は、ユーズドと言われていたものがヴィンテージとして価値を認められつつあります。それは、今後も大切にしていきたいですね」

ツァイス・イコンが1959年に発表した、一眼レフのフラッグシップシリーズがコンタレックス。こちらは1967年に発売された「SUPER」で、TTL露出計を備えている。

1800年代末に作られた、Ariston Sound Box。穴の空いたディスクの上を針が通って音を出す仕組み。このようなサウンドボックスは1700年代末にスイスで生まれた。

歴史の遺物となった奇抜なアイデア

自転車作りの聖地イタリアには、「チクリ」と呼ばれる小さな自転車工房が多く存在した。自在にパイプを曲げる技術を駆使し、自由な発想で作ったフレームがコレ。時代を感じる木製のリムはともかく、寝かされたヘッドチューブから察するに、あまり競技志向ではなさそう。ポタリングでも楽しむために作られたシングルスピードロードかも。

スピードとの戦いは、空気抵抗への挑戦であり、過去にも様々なエアロデバイスが試されてきた。このコルナゴが纏う「整流板」も多くのトライ&エラーの一つだろう。ヘッドチューブとフロントブレーキ、そしてリアホイールはリムまで覆うという手の込みようだが、果たして効果はいかほどだったか? 横風には弱そうだ。

『イタリアのリアルライフを垣間見る』

1981 DMC-12 "DELOREAN"/GMの副社長だったジョン・Z・デロリアン氏が1975年に設立した、デロリアン・モーター・カンパニーから発売された唯一の市販車。ステンレスボディ、デザインはジウジアーロ、設計はロータス、エンジン&トランスミッションはアルピーヌA310と基本は共通と、細部に至るまで意欲作。

 ガレージには、そのまま博物館の中心に展示されてもいいほど美しく保たれたクルマもあれば、これから展示されるため、レストアを待つ名車の姿も。玉石混淆と言っては失礼かもしれないが、中古車屋さんの店先に置かれていても不思議ではないようなクルマもある。ただ、これこそが私設博物館の良さなのだとも思う。全てのクルマには、ルチアーノ氏やシルビア氏の個人的な思い入れがあるはず。通り一遍ではわからない、イタリアのリアルライフの一端を垣間見ることができるのだ。

1947 MASERATI A6 1500/オルシー傘下となったマセラティが、第二次世界大戦前から製作をスタートしたプロトタイプ。ニコリスにあるのは、1947年のミラノ・トリエンナーレに出展された2台目とのこと。

1967 ISO RIVOLTA GT IR 300/ビッザリーニが設計を、ジウジアーロがデザインを、ベルトーネが製造を手掛けた、2+2グランツーリスモ。製造台数は約800台に過ぎないと言われる。エンジンは5.4リッターのシボレーV8。

独創的なパッケージングのマドラ

1974 MATRA SIMCA BAGHEERA/FRPボディ、横3人乗りとユニークな構造を持つミドシップスポーツカー。エンジンはシムカ1100TIの1.3リッターをチューンして搭載。1976年式以降のシリーズ2は、スタイリングがより直線基調になっている。

社会主義国の象徴だったタトラ

1971 TATRA T2-603/1971年式タトラT2-603。チェコスロバキア唯一の自動車会社が作ったリアエンジンの高級車で、社会主義国の政府高官に愛用された。T2-603は中期型にあたるが、こちらは最終型2-603II型のフェイスに変更されている。

フラビアの前後マスクを化粧直しする形で生まれたランチア2000ベルリーナ。先進的なアルミ製水平対向4気筒エンジンやランチアらしい上品なスタイリングが人気を呼んだ。

ムゼオ・ニコリスの創設者、ルチアーノ・ニコリスが創業した「Lamacart S.p.A」は、古紙の回収、そしてパルプ化を行う会社。このOM製トラックは、当時回収で使われたのだろうか。

イノチェンティ・ミニとフィアット600。共にイタリア人のアシとして活躍した元祖ベーシックカーだが、なぜか共にムゼオ・ニコリスのウェブサイトにその情報は掲載されていない。

ピラーが細い非常にエレガントなスタイリングは、前知識がなければセイチェントベースであることを見抜けないほど。それでいて、後席空間もそれなりの広さが確保されている。

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