2018.07.20

大人の趣味の為のライフスタイルマガジン「IN THE LIFE(イン・ザ・ライフ)」

ヒストリック・カーの祭典は、今年もパリから「RETRO MOBILE」

1960 PORSCHE 356 CARRERA ABARTH/フェルディナント・ポルシェ博士とカルロ・アバルトが家族ぐるみの友人だったことから実現。356Bをベースとしながらアバルト・チューンの2L・180psのフラット4を積む。ボディワークはスカリオーネが担当した。まるでフランス車かのようなカラーリング。

旧車ミーティングの年間カレンダーにおいて、欧州でキックオフを告げるパリのレトロモビル。開催40回目を超えた今、テーマ展をはじめその内容はます充実かつエスカレートし続けている!

フランスのエンスージアストはクーペ好き!

1961 JAGUAR E-Type Light Weight Prototype/
わずか12台だけが生産されたライトウェイトE-タイプのうちの一台で、おもに‘50年代に活躍したアメリカ人レーサー、ブリッグス・カニンガムの元にあった個体。セブリング12時間でクラス優勝したクルマだ。スポーツカーの黄金期の一台といえる。

1963 LANCIA FLAMINIA 2500 SPORT ZAGATO 3C/
ランチアの名エンジンで世界初のV6、アウレリア譲りの2.5Lを積み、ザガートによる優雅なアルミニウム・ボディとダブルバルブのルーフゆえ、高い希少性をもつフラミニアは、まさにため息を誘う一台。

パリの本流はやはりエレガント系

1963 HILLMAN IMP ZAGATO/
たった3台のみが試験的に製作されたヒルマン・インプのザガート・ボディの、1台とされる。通称「ZIMP」と呼ばれるモデルだ。デザインを手がけたのは当時ザガートで辣腕をふるい、アルファのTZやアストン・マーチンなど数々の美麗GTを描いたエルコーレ・スパーダだった。

 まだまだ空気は肌を刺すように冷たい2月初旬のパリで、今年もポルト・ドゥ・ヴェルサイユの見本市会場内においてレトロモビルが開催された。取材した回は、初回の1975年から数えてじつに41回目である。

 以前は隅のホールに追いやられていた時期もなくはない。だがここ数年は、メインのホール1とその周辺ホールに陣取り、レトロモビルがますますイベントとして成長していることを実感させる。展示面積や台数だけなら、もっと広くて沢山のヒストリック・カーが集まるイベントは少なくない。でもレトロモビルが凄いのは、そのカルト力だ。
 
 一生のうちになかなか目にする機会のないオンリーワンや稀少車に会えるという目の保養から、こんなクルマが世に存在したのかという発見ワンダー、さらにはあの有名人やセレブが乗っていたという野次馬根性まで、あらゆる方面の好奇心を満たしてくれる。その雑多なバランス感たるや、まさに絶妙で、どんなクルマ好きが行ってもレトロモビルでお腹いっぱいにならないことはありえない。そもそもクルマ好きを自認する人たちにとっても、毎年毎回、知らないクルマがいっぱい並んでいる、そういう場なのだ。

 とはいえ、そこはやはり地元フランスやパリの趣味が少なからず反映されていて、珍しいだけでなくエレガントなクルマが賞賛されるようだ。日本では不人気の+2クーペは、数十年経ってもパリでは磨き込まれて、優雅で伸びやかな姿を誇り続ける。いい年月の重ね方の模範例が、そこにはある。

大衆車でスポーツ! ルノーの奥深さとは

1975 RENAULT 17 GROUPE 5/
アルピーヌを除けば、ルノーがラリー世界選手権で初めて優勝を飾ったクルマは1974年の17だ。これは翌年のワークスカーで、1.8Lを185psにまで磨き上げ、ボディパネルの要所にアルミニウムを用いて軽量化が施されていた。17自体は1971年登場の小さなクーペだった。

 レトロモビルの毎度の盛り上がりのもっともシンプルな理由は、地元フランスのモータースポーツ史を彩ったクルマが出展されることが挙げられる。

 '60年代の後半以降に当時の公団ルノーが8ゴルディーニ・カップやフォーミュラ・ルノーを通じて、人材の育成に励んだ頃から、モータースポーツの発展は、政府や石油会社まで巻き込んだ国家プロジェクトだった。それ以前のフランス勢はといえば、F1やル・マン24時間で英国車やイタリア車、アメリカ車らが活躍し席巻するのを横目で眺めていたクチで、たまにモンテカルロで入賞したりル・マンで性能指数賞を獲るのが関の山、そんな調子だった。

 それが転じて、'70年代前半にル・マンではマトラが3連勝、1978年には半ばお役所的存在だったルノーも総合優勝を飾る。ルノーがF1でターボ技術を先駆けたのと同じ頃に第1回パリ・ダカールという大陸を股にかけた冒険的ラリーレイドが始まるし、'80年代にはアラン・プロストのようなチャンピオンまで輩出することになる。

 ついでにいえば'90年代以降はレース・エンジニアらの人材輸出国に転じたほどで、日本がバブルでF1やル・マンに大枚をはたいていた頃は、もう収穫というか、刈り入れ時だった。

 話が逸れたが、いわばこうした勢いをビンビンに浴びまくっていた'70年代後半から'90年代の、少しドン臭いデザインの普通のクルマなのに、純レーシング・トリムに身を包んだ大衆車たちは、今やヤングタイマーとして崇められ、'60~'70年代とは異なる「フレンチ・タッチ」の、もうひとつの大きなピークを形成している。

 それは「羊の皮を被った狼」といった、むっつりと秘めたる情緒とは真逆である。「元は羊ですけど狼になって何か?」的な、ラテン系に特有のあっけらかんとした開き直りとアバンチュール気質が見てとれるはず。それがエスカレートして元々のクルマの素性を磨くのに勤しんだ結果、「狼を超えたモンスター」になってしまった、ルノー5ターボのようなケースもある訳だが。

 というわけで「恐るべき素のフレンチ」の基本は、やっぱりルノー・ブースから!

1988 RENAULT 21 TURBO SUPERPRODUCTION/
いわゆる通勤セダンの出で立ちにターボで高められたエンジンは430ps仕様。それでもリミッターが効いていた。当時のスーパープロダクション規格で争われたフランス国内のツーリングカー選手権で、ジャン・ラニョッティらがアウディやポルシェを向こうに回して10戦6勝を挙げた。

敢えてハデな、ラリーカーという日常の狂気

1976 ALPINE A310 GROUPE 4/
アルピーヌは'70年代初頭にルノー傘下に入り、ゴルディーニとともにルノーのスポーツ部門の母体となった。A310はA110の後継車で、国民的タバコ、ジターヌの広告を背負ってラリーで引き続き活躍した。

 意外かもしれないが、フランスの人々はスポーツでもガメつく確実に積み上げていくことが大好き。

 サッカーで華麗なゴールを観て喜ぶ時は少年のココロで、大のオトナはもっと理性的に、泥臭くても着実にコトを運びながら、時に知恵と狡さを利かせて効率よく目的に達する、そんなパフォーマンスを賞賛する。いわば後者にあたるのが、ラリーやル・マン24時間だ。F1のように技術の粋を集めた最高峰マシンが、サーキットで華麗に全力を尽くすといった風情は、大半のフランス人にははっきりいって貴族的に過ぎる。

 よってラリー・マシンのように、元々は身近な存在のクルマが"敢えて"武装しているのは、大きな興味の対象となる。険しい道をブッ飛ばしに行くための然るべき装備や準備は、リスク管理の一部だ。それをどう運用オペレートするのか? というドライバーやチームの手並は、ある意味、現場での最終プロセスでしかなく、わりと醒めた目で観られている。そして長い競技時間の中でここ一番の局面を乗り越え、最終的に大きな成果を挙げたら"英雄的な"あるいは"偉業"といった言葉で記憶され、讃えられるのだ。

1968 PEUGEOT 204 COUPE/
1965年に登場した204は、オールアルミSOHCの4気筒1,130ccユニットを横置きに積む、当時としては先進的なFFだった。2ドア・モデルは翌年登場し、小粒ながらもエレガントなクーペとして人気だったばかりか、その軽快なハンドリングを活かしてラリーフィールドで活躍した。それにしても目ヂカラの強い一台だ。

クルマにまつわる、ちょっといい話や不思議な縁

1965 FERRARI DINO 206 GT PROTOTYPE/
エンツォ・フェラーリの息子で若くして夭逝したアルフレディーノに、ピニンファリーナが捧げたオマージュとして1965年のパリ・サロンで公開されたディーノのプロトタイプ。そのままフランスに留まって今もル・マンの主催者、ACOの博物館に収蔵されている。

1955 FRAZER NASH LE MANS COUPE/
9台のみ生産された稀少なドロップヘッド・クーペだが、英国で女性のサーキット・オーナー経営者として有名だった、キティ・モーリスが新車時のオーナー。彼女の手を離れてから実際、1959年にアマチュア・ドライバーの手でル・マン24時間に出走している。

アイデアごと愛おしい、飛んでるプロトタイプ

1960 PININFARINA X/
車輪を菱形に配置しておもに左右輪を駆動し、何なれば360度その場で回転できる「ロンボイド」のコンセプトは、未来の都市型コミューターとして様々なデザイナーを魅了した。これはピニンファリーナの制作で、空力と飛行機を強く意識したロンボイド。

 仮に、たとえ特別な偉業を残していなくても、ヒストリック・カーのように今や一歩引いた視点から見られる存在は、「なぜここはこうなっていたのか?」という過去の技術的動向や考え方、いい伝えの再検証ができる。それだけでお喋り好きのフランス人には素晴らしい話題のツマミになるのだ。

 折角、ヒストリック・カーがあるのに、黙って眺めるだけでは楽しみ方として勿体ないという感覚か。今年、テーマ展として招かれた、戦後のインダストリアル・デザイナー、ピエール・シャルボノーの不思議な設計のクルマたちは、まさにそうした好奇心を喚起する。

 かといって4CVや204のような大衆車の前で会話に入ると、高い確率で、そのクルマで昔行った自分のバカンスのような話題に滑りがち。あくまで乗り物の過去をふり返りに行く、それが「レトロモビル」であることはお忘れなく。

バギーをイタリアンに解釈したならば

1973 Autobianchi A112 Giovani Pininfarina/
若者向けのビーチ・カー、そんなコンセプトがアメリカのバギーの影響で流行した’70年代。アウトビアンキA112をベースに、シンプルで経済的なボディをピニンファリーナが考案した。1973年ジュネーブ・ショーで好評を得たが、生産に移されることはなかった。

小粒かつスーパーレジェッラな一台

1961 OSCA 1600 GT Touring/
エットーレとエルネストのマセラティ兄弟が設計したOSCA初の市販車で、ザガートやトゥーリングがボディワークを担当した。これは後者のバージョンで、Cビラー内側の穴に注目。コンケーブしたリアウィンドウも空力と採光に優れるなど、小さいながらも革新的な一台だ。

アルピーヌのオレオ〜レ仕様といえば

1964 Willy Interlagos/
ジャン・レデレーは実業家としてアルビーヌのライセンス生産にも積極的で、ブルガリアやブラジルの現地生産も進めた。これはA108のブラジル版インテルラゴスで、49psの845ccユニットを積む。

1948 ALFA ROMEO 6C 2500 COMPETIZIONE COUPE/
直6の2443ccエンジンをフロントに積み、ミッレ・ミリアやタルガ・フローリオ向けに作られたGT的なクーペ。後者では1949年から1951年に2位、3位、5位の戦績を残した。

1969 MERCEDES-BENZ 280 SE 3.5 CABRIOLET/
80数台が生産されたツール・ド・フランスの中でも僅か9台しかないオープン・ヘッドライト。オールアルミボディで重量はわずか1180kgに収まる。2953ccのV12エンジンだ。

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