2018.08.20

大人の趣味の為のライフスタイルマガジン「IN THE LIFE(イン・ザ・ライフ)」

2年に一度のヴィンテージ・スペクタクル「LE MANS CLASSIC ARCH...

回を追うごとにパワーアップしていく、2年に一度のル・マン・クラシック。今やサルト・サーキットに歴史を彩る名車、レア車、珍車、そしてそれらに魅せられた人々が毎回10数万人も集まるイベントとなった。

魔に魅せられるパドックの賑わい

パドックへの通路をデイトナ・コブラ・クーペが通り過ぎる瞬間、サイドカーの二人は慌ててカメラを取り出している。ル・マン伝説の中でもキラ星級のスターが集まるイベントなのだ。

 レアで貴重な車が集まるイベントはほかにもある。しかし「LE MANS CLASSIC(ル・マン・クラシック)」がほかのどんなイベントとも異なる理由は、伝説的なル・マン・カーの数々が、再びル・マンのフルコースに全開で挑む点にある。そして、その機会は2年に一度しか訪れない。

 幸運なオーナーにとっては、その昔に憧れたヒーローと同じ舞台に立つ機会となる。ファンや観客にも、その再現劇はまたとないスペクタクルだ。しかも往時のドライバー本人が来ていることすら往々にしてある。

 ル・マン・クラシックは予選の末にヒート制のレースが行われる、れっきとした競技。参加車は1923年式から1979年式まで、6つの年代別クラス(プラトーと呼ばれる)に分かれ、約1時間のヒート×3回が、24時間の中で行われる。合計たった3時間と思われるかもしれないが、ワークス体制でもないのに旧いレーシングカーを24時間、調子を保って走らせ続けることは容易ではない。

歴史的名車が集う2年に一度の機会

空カフェンダーをまとった1954年式ポルシェ356。ル・マンは世界屈指の超高速サーキットで、24時間を戦うために考案された特殊デバイスは、後のエンジニアリングに大きく貢献。

 余計なリスクを避けるための配慮はある。夜の予選タイムはグリッド決定にカウントされない。あるいは、クルマに一斉に駆け寄るル・マン式スタートはペースカー先導で、実質的には翌周のローリング・スタートでレースは始まる。貴重きわまりないクルマを全開で走らせるとはいえ、楽しむためのクラシックカー・イベントに不要なリスクは徹底して排除されているのだ。

 実際にこのスペクタクルを目の当たりにして、もっとも驚かされるのは、白黒でしか見たことのない奇跡的な光景もともかく、GT40やポルシェ917のようなスポーツプロトの群れが吐き出す、地鳴りがするほどの轟音だ。震えがくるスペクタクルとは、まさしくこのイベントのことだ。

コース上で再び繰り広げられる歴史的瞬間

子供だってヴィンテージ!

ワークスすら食った名作ポルシェ

 ル・マンで19回というメーカー最多優勝を誇るポルシェ。2000年以降にはアウディにも13回の総合優勝を重ねたとはいえ、ポルシェ・ワークスだけではなくプライベーターまで含めたクラス優勝も数えればそれこそキリがない。

 ポルシェのル・マン挑戦は'50年代、356の時代に遡る。’60年代まではむしろ軽量さと効率を武器にした小兵だったのに、1970年に怪物マシン917で初の総合優勝を果たし、ターボ時代に圧倒的な強さを発揮し、「耐久のポルシェ」のイメージは定着した。

 935は’76年に登場し、ポルシェがワークス参戦から退いてからもプライベーター・チームに託されたクルマ。それでも1979年にはワークス勢を抑えての優勝を飾り、ポルシェの名声と信頼を一段と高めたクルマだ。ゆえにル・マン・クラシックのプラトー6へ参加している個体は多い。

最高速を追求したル・マンの怪物クジラ

PORSCHE 935 MOBY DICK/
ポルシェ・ワークス開発による035として究極となるマシンが、空力ロングテールを採用した935モビー・ディック。エンジンも別物で、何と水冷の4バルブ・ヘッドによる3.2Lターボは850ps、ユノディエールの直線で350km/hに達した。今回のル・マン・クラシックではブースト圧不調で本領を発揮できなかったが、今後に期待。

 ポルシェのル・マン初参戦は1951年、356プレAと呼ばれるモデルの、4気筒1.1Lエンジン搭載車で、早々に1.1L以下のクラス優勝を飾っている。

 現代のル・マン・クラシックではやはり1.1Lは非力過ぎてか、356の参加車は1.5Lや1.6L版のみだが、’60年代半ばまでポルシェは911は元より904に至っても、ライトウェイト・スポーツカーの精神を受け継ぐメーカーだった。

 メカニズムの独自性と戦歴の長さで、ル・マンでポルシェはやはり特別な存在であり続けている。

ポルシェはやはりこのカタチ

PORSCHE 356/
356の生産モデルは、プレAと呼ばれるタイプの1.1Lから356Bの2.0L版まで、ル・マン24時間に挑み続けた。同じリアエンジン・リア駆動のVWビートルの兄弟車でもあった356は毎年、細かな改良を積み上げた。いってみれば、ル・マン参戦を通じて、スポーツカーとしての要件を実地で磨き上げたのだ。

スポーツカー黄金期を代表するポルシェたち

1963年にデビューした911は、ナローの時代からワークスの純レーシングカーと伍して、現在に至るまでル・マンを戦い続けている。

ミッドシップながら、911と同じくフェルディナンド・アレクサンダー・ポルシェによってデザインされた904。写真は2Lの8気筒版だ。

独特の怪しさと様式美をもつBMW

 1972年、ル・マンにACシュニッツァーが2800CSを走らせ、BMWは戦前の328以来のル・マン復活を果たす。1972年はBMWモータースポーツ社、現在のBMW Mの創設年でもある。

 翌年、ル・マンに送り込まれた最初のワークスカーが、3.0CSLだった。CSLとはクーペ・スポーツ・ライトの意味だ。姿は市販車に近いが中身は別モノ、羊の皮をかぶった狼の究極だった。

 グループ2から始まって欧州ツーリングカー選手権をBMWは瞬く間に席巻し、最終的には3.5Lまで拡大されたエンジンを引っさげ、’75-79年まで3.0CSLはタイトルを獲得。ル・マンにも2002Tiや3.5CSL、M1などが登場し、BMWモータースポーツの活動は完全に軌道にのった。現代芸術の巨匠が手がけたアートカーなど、独自の試みも強い印象を残した。

いわゆる羊の皮をかぶった狼の究極

BMW 3.0 CSL/
張り出したオーバーフェンダーや巨大なスポイラー、軽量化のために鉄板を切ってファイバーに換えられたフロアを含むパネルなど、シルエット・フォーミュラとして換骨奪胎されたマシンが3.0CSLだった。

3.5CSLは当時のグループ5のホモロゲーションに対応。3497ccのパワーユニットは440psにまで磨き上げられていたという。ACシュニッツァーによる一台だ。

BMWのスーパースポーツカーM1は、F1レースの前座となるワンメイク・レース用に開発され、最終的にはアートカーとして記憶に残るクルマとなった。

12気筒にこだわった王者

 フェラーリは1960年、250TRでル・マン3勝目を挙げ、以後1965年まで6連覇する。その原動力は、開発エンジニアの名からコロンボ・ユニットと呼ばれた、60度V型12気筒エンジンだった。

 この精密な12気筒は58.8mmのショートストロークを基本に、3Lから3.3Lの総排気量のV12エンジンへ派生し、1965年まで勝ち続ける。250や275という数字は、1気筒辺りの排気量を示していた。ヘッド周りも2バルブから4バルブ化されDOHCとなった。

 だがGT40に勝利を奪われた1966年以降、コロンボ・ユニットは71mmストロークへ大型化され、1気筒あたり330ccの4Lユニットとなる。さらにボアを拡げ1気筒辺り365ccとなってフェラーリ365GTBデイトナに。このユニットは後に挟み角180度、つまり水平対抗化され365BBを積む。ストロークを最終的に78mmにまで伸ばしたコロンボ・ユニットは、5L化され、最終的に512BBやテスタロッサ、512TRまで踏襲した。

伸びやかなラインはFRならでは

FERRARI 275 GTB/
ミッドシップと端境期に活躍したFRレイアウト・フェラーリの雄。同時期には250LMや275P2、330P2がいた。FRコンペティション・フェラーリの流れはこの後、365GTB4デイトナに受け継がれていく。’60年代のFRマシンの完成形のひとつといえる。

Ferrari 275 GTB/
ロングノーズを持つこのタイプは、パワーユニットがDOHC化されたことから、275GTB4と呼ばれることもある。しかもドライサンプだ。ワイヤースポーク・ホイール設定がなかった初のフェラーリで、ボディ製作はスカリエッティ。

黄金期の英国車アストン・マーチン

 1920年代末からル・マンに参戦し、現在も続けているアストン・マーチン。戦後もDB2やDB3Sで走り続け、1959年にはDBR1で悲願の総合優勝を遂げている。

 1961年より世界選手権がプロトタイプではなくGTカーのみ対象になると、アストン・マーチンはDB4GTを投入した。アルミ製の1280kgという軽量ボディに、3.7Lエンジンはツインウェーバー3連装とツインスパーク化で300psを実現していた。後に、さらに空力と出力を磨いたDB4GTザガートも登場させている。

ル・マンの夕日を浴びるアストン・マーチンDB4GT。アルミの軽量ボディとツインスパーク化された直6の3.7Lエンジンを特徴とした。

ザ・スポーツカーの代名詞、Eタイプ

 ’50年代にCタイプとDタイプでもって、ジャガーは圧倒的な強さでル・マンに君臨した。ライバルはメルセデス・ベンツ300SLぐらいだった。そして1961年、ル・マンでの成功をプロダクション・カーに反映すべく、ジャガーが開発したのはEタイプだった。

 長大なボンネットとショートキャビンのボディはスポーツカーとして優雅さをすべて備えたかのような美しさ。じつはロードスターはMoMAのパーマネント・コレクションにも収拾済み。クルマでは6モデルのみ与えられた栄誉だ。

ジャガーEタイプは1961年から生産され、翌年早々からル・マンを戦った。当初3.8Lの直6、4.2Lのシリーズ2、最終的には5.3LのV12が搭載された。

小排気量で性能指数賞狙いから総合優勝へ

 まだロングノーズのFR車が全盛でミッドシップ車すら珍しかった’60年代前半、アルピーヌはリアエンジンリア駆動のレイアウトを貫いて、M63やM64といったリアが極端に長い空力ボディでル・マンを走っていた。当時は排気量係数と到達距離による相対的な効率を競う性能指数賞にも、総合優勝と同じ賞金がかけられていた。

 アルピーヌは’60年代こそ性能指数スペシャリストとして戦い続けた。優秀なゴルディーニ・エンジンの授けもあって、M65、A210は数々のリザルトをもたらした。だがルノーに吸収された後、1972年から1974年にマトラ・シムカが3連覇して以来、明らかにフランス車勢の風向きも、求められる方向性も変わった。そして1978年には2LのV6ターボを積んだA442Bで、ポルシェを抑えて総合優勝を果たしている。

テールフィンが美しいLMスペシャリスト

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