2018.08.17

大人の趣味の為のライフスタイルマガジン「IN THE LIFE(イン・ザ・ライフ)」

オールドウエストの荒野に生きる カウボーイのビッグフラット「Living The...

ワイオミングで1万2,000エーカーの土地を所有し450頭の牛と共に生きるCylde BayneはOldwestを切り開いた開拓者の末裔だった。生粋のキャトルランチャーとその愛機でオリジナルペイントを保持する1937年式ULを本誌Vallejo支部のKen Nagaharaがレポートする。

Homestead Actという夢を胸に未開の地に向かった移民者の末裔。

口髭にカウボーイハット、バッファローハイドのベストをシグネチャーとする"本物"のカウボーイ。
古き良き時代のアメリカ西部をこれほど生々しく感じさせる男は、クライド・ベインの他に思いつかない──。

1万2,000エーカーの土地の上で目下注力するのは構想10年のゲストハウス。1800年代の古家を解体して、自分のランチに再び組み直しそれを覆うように家を建てるという。クライド自身がゆっくりと建設中。

 「こいつは本物のカウボーイだ——」。

 今から5年ほど前、コロラド州ウーレイで開催されたAMCAのナショナルランで、我が師ブリトー・リックからそう紹介されたのがクライド・ベイン。口数は少ないが丁寧な挨拶が印象に残った。去年開催されたユタ州カナブでのナショナルランでも共に走り、その際今度オレのランチ(牧場)に来いよ、と誘われた。

 そして今年の8月、サウスダコタ州スタージスでのマイク・ケーン(『ROLLER magazine』7号で紹介したIndian狂)の結婚式で再会し、改めて取材の約束を取り付ける。

「ランチに誰かを招待するなんて、滅多にないことだよ」

とクライドは言った。

 そしてこの秋、ベイエリアから飛行機でワイオミングに飛び、そこから車でクライドのランチを目指した。「この辺りにはランドマークがなくアドレスも頼りにならん。いいか、近くの町からハイウェイを南に30マイル下ったところを右に曲がれ。ハイウェイが跨ぐ小さな川を超えてしまったら、それは行き過ぎだ——」という彼のザックリとした道案内を頼りにレンタカーを走らせ、なんとか目的地へたどり着いた。

 360度、見渡す限りの草原が地平線まで到達するパノラマのど真ん中に、クライドのランチはあった。大陸であることを嫌がおうにも感じさせる絶景。その中に自分がいるという事実に、静かな興奮を覚えた。喧騒と渋滞が日常であるベイエリアの日常から離れ、自分とはあまりにかけ離れた環境で生きるクライドが羨ましく、その世界を垣間見るだろうこの取材に胸が高鳴っていた。参考までに彼のランチからは見渡す限り隣人の陰はなく、隣のランチまで15km、最寄りの町は50kmあるという。

 職業はいわゆるCowboyだが、アメリカで正式に表すとCattle Rancherが正解で厳密にいうと両者は異なる。簡単に言えばカウボーイはキャトルランチャーに雇われ放牧される牛を集めたり、出荷場まで家畜を連れて行くのが主な仕事で、今でいうフリーランスも多く仕事を求め移住しながら生きていたという。一方キャトルランチャーは土地の手入れや家畜の世話をしながら定住生活をしている。

 そもそもクライドがワイオミングで1万2,000エーカーの土地を所有し、450頭もの牛と共に生きてきた理由は、アメリカがまだ開拓期にあった1800年代まで遡る。当時主な都市があった東海岸から見れば、対岸の西海岸は遥か遠い異国の地であった。ミシシッピリバーより西はAmerican Westと呼ばれ、バッファローが大地を放浪し、それをインディアンたちが追いかけていた。

オフィスにはヴィンテージのウィンチェスターライフルが並ぶ。これらは1800年代後期のアメリカンウェストの象徴と言われる。この他になんと50口径(!!)キャリバーライフルを含め約50の銃を所有する。

クラフトマンとしての多彩な技術を持ち合わせているが、そのどれも趣味の域を超えている。例えば彼らの必需品であるライフルも、銃身以外をハンドメイドしたり、牛のツノを細かく彫刻して火薬を入れるホルダーを作ったり、手先の器用さも特筆ものだ。

文明から隔離された荒野に生きるということ。

製作途中のプロジェクトバイクがリフトアップされるショップルーム。ヴィンテージH-Dのレストアは、タフなキャトルランチャーの仕事の合間の楽しみのひとつだ。

 1862年にアメリカ政府を治めるリンカーン大統領は、Homestead Actという法律を発表した。

「American Westに移住する開拓者には、政府から160エーカーの土地を与える」

という新法で、貧しい移民者にとっては正にアメリカンドリームと言えるものだった。

 時は流れて1921年。クライドの曽祖父もまたHomestead Actという夢を胸に、ヨーロッパから船でアメリカ東海岸に渡った移民のひとり。未開の地を目指し鉄道を乗り継いで現在のワイオミング州へ辿り着く。その後1916年の法改正により開拓者には640エーカーの土地が与えられたが、それらは駅から65kmも離れた辺境の地だった。それでも東からやってきた開拓者達は、家財道具を担ぎなら歩いて向かったという。彼らは与えられた土地で牛と羊の放牧を始め、家を建て、1年後には家族を呼び、さらに土地を買い、荒野に根を張ってゆく。かくしてアメリカの西海岸は少しずづ形成されていった。

 フロンティア・スピリットを体現した開拓者の家系の三代目が、クライド・ベインという男のプロフィールだ。彼らはHomesteaderと呼ばれ、自給自足で荒野を切り開いた開拓者の象徴たる存在として知られる。当時は電気も水道もガスも無く、トイレも穴を掘り上に小屋を被せたOuthouseと呼ばれるもの。もちろん今は家の中にトイレがあるが、彼のランチは今もOuthouseが残っていて、強烈な悪臭を放っていた。

 2日間の滞在で目の当たりにしたクライドの生活は、密かに想像していたロマンチックな西部劇のイメージとはかけ離れた、タフで孤独な日常があった。冷たい風に晒される文明から隔離された未開の地で、何から何まで全てこなさないといけないキャトルランチャーという職業の厳しさを目の当たりにした。

 そんなハードな仕事の合間を縫って、ヴィンテージH-Dをビルドしたり、ライフルを作ったりするクライドの原動力は、きっと彼を取り囲む果てしない大地そのもののような気がする。

「神が作ったのは教会なんかじゃない。神はこの大地や動物や自然など全てを作ったんだ。だからオレは毎日教会の中にいるんだ──」

 人間よりも動物が好きだと笑うキャトルランチャーに、この大国を築いたフロンティア・スピリットを垣間見た気がする──。

ガレージには世界で5台しか残っていないという1941年のキャデラック・フォーマルセダンや1958年のオリジナルペイントのインパラ、1949年のシボレーピックアップがあった。

世界最高峰と評される"運命"のチークレッド「1937 H-D UL」

牛に与える干し草の山の前で、愛機37ULと愛犬キャトルドックと共に。フラットヘッドがこれほど様になる男は、もはやアメリカでも稀だ。

 数台のH-Dを所有するクライドの1番のお気に入りがご覧の1937年式。あまりにもフレッシュでリペイントと見紛うが、1937〜1939年までレギュラーとしてラインナップされたTeak Red with Black Striping edged in Goldはファクトリーオリジナル。地色はもちろんウォーターデカールやピンラインがこれだけ保持されているケースは極めて稀だ。

 蛇足だが37年の純正からチャートにはBronze Brown×Delphine Blue Stripe Edged in YellowやDelphine Blue×Teak Red and Gold Stripe、WhiteにPolice Silver With Black Stripingも用意された。

 「もともとはワシントン州でポリスバイクとして走っていた1台で、その後はアイダホの鉄道関連のマシニストの手に渡り長年通勤に使っていた。そのセカンドオーナーがリタイヤ後、何十年もの間コロラドのカーショップの隅で埃をかぶり眠っていた。その情報を聞き付けたオレが4人目のオーナーになった。それは運命的な出会いだったよ」。

ファクトリーオリジナルのTeak Redに黒いストライプとゴールドのピンライン、極め付けはウォーターデカールで正に奇跡のコンディション!! スピードメーターには速度違反を計測するためのポイント装置が内臓、右グリップに装着されたプルレバーとケーブルにより連動する。

ワシントン州のポリスバイクを手に入れたアイダホのマシニストは日々の通勤で37ULを使用したという。クライドが所有するご覧の写真がそのセカンドオーナー。

当時のレジストレーションもご覧の通りしっかりと残されている。1937ULの履歴を裏付ける重要なドキュメント。

photographs & text:Ken Nagahara
媒体:ROLLER magazine vol.25

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