2019.01.30

大人の趣味の為のライフスタイルマガジン「IN THE LIFE(イン・ザ・ライフ)」

4世代に渡り受け継がれる伝統と技術を継承するために。「100 Years of ...

1918年、オレゴン州ポートランドにて創業されたブーツカンパニーWESCO。今となってはアメリカでも珍しいファミリー・ビジネスを貫き、4世代に渡ってその伝統と技術を継承してきた。その真摯なものづくりとフィロソフィに惚れ込んだひとりの日本人・岡本 直は、2004年にWESCO JAPANを設立。日本のユーザーたちにその魅力を発信することを自らの使命とする。そんな岡本 直が考える100年企業WESCOとは――。

「守り続けているものを深く掘り続ける。それが僕の仕事なのです」―― Sunao Okamoto

岡本 直/
大阪生まれ大阪育ち。WESCOが日本で知られていなかった頃からそのプロダクトに惚れ込み、その後「WESCO JAPAN」を立ち上げる。WESCOの魅力を日本に広めた第一人者。

 アメリカンメイドのヴィンテージをこよなく愛し、エンジニアブーツのコレクターであった岡本。ヴィンテージブーツを探し続ける中で出会った一足、それがWESCOだった。これまで何千足ものブーツを見てきた岡本だったが、その一足はほかとは違い、ひときわ輝いて見えたという。

「だいたい1930~40年のブーツはほとんどがボロボロなんですよ。けれどWESCOだけは、時を経ても良好な革の状態を保ち、ヴィンテージとはいえ、いまだ現役で使用できるブーツでした」

そのとき岡本は、ヴィンテージでこれだけの状態を保持するWESCOに心底惚れ込み、その世界をさらに知りたいという欲求が湧き上がったという。

 ほどなくしてWESCOについての情報を探り始めるが、今から20年以上前といえば、ここ日本においてWESCOはマイナーな存在。彼の地アメリカでは、ユーザーの足に合わせたカスタムオーダーが可能との情報も掴むが、日本においてはWESCOを取り扱っているお店も少なく、基本の形、限られたサイズだけを販売するショップが大半だったという。とにかく日本人の足といえば、欧米人よりも扁平かつ足の甲が高く、さらには足幅が広い傾向にある。当時の日本人のユーザーの多くは、本当に足にフィットしたサイズを選びにくい状況にあったのだ。

 岡本はそんな国内の状況に疑問を感じていたとき、仕事でオレゴンにあるWESCO本社工場を訪れる機会を得た。そして、そこで彼は人生を大きく変える感動と衝撃を受けることになった。

「足のサイズはもちろん、レザーの種類やハイト、ソールにステッチのカラーまで、すべてカスタムできたんです。こんなに素晴らしいカスタマーサービスがあるのに、日本ではそれが上手に生かされていないと思いました。いまになってはもちろん当たり前のようなカスタムオーダーの内容なのですが、当時の日本人は誰もこうしたことを知らなかったんですよ。

 そう、自分のライフスタイルに合わせてブーツをカスタムできるということを。自分だけの一足を作れるということを。本来のWESCOの姿とは、ユーザーの目的を最大限に考慮したライフスタイルに寄り添う道具なんだと、そこで気づかされたんです」

機は熟した─。岡本の熱意とこだわりは、WESCO本社の人をも納得させることになり、2004年、彼はWESCO JAPANを正式にスタートさせる。

 「僕はWESCOブーツの専門店を日本に作りたかったんです。売りっぱなしではなくWESCO LOVERSが安心して末永く履いていただけるような、アメリカと同じカスタムサービスを提供できる、本当の意味での専門店を作りたかった。

 ゆえに徹底的にこだわり、現在の大阪本店で使用する、修理に必要な木型や古いミシンなど機械や道具は、すべて本社工場で使うものを揃えました。木型ひとつでも、本国と同じものを使わないとサイズが変わってしまうので、釘1本まで同じにすることで、国内でも本来の姿のWESCOを提供できるシステムを整えました」。

 こうしてWESCO JAPAN設立から約15年が経過した今日。モーターサイクルシーンをはじめとして、タウンユースのファッションアイテムとしても浸透した、WESCOのオーダーブーツ。履きづらく、一部の人だけの趣向品というブーツの概念を変えた岡本の功績は、計り知れなく大きいといえるだろう。

 そんな岡本は、100周年を迎えたWESCOについて最後にこう締めくくった。

「世の中はとてつもなく早いスピードで流れていくため、その早さに合わせて変化を求められることがあります。けれど僕についていえば、変わらないことも大事にしたいんです。そう、変わるより変わらないことの方がずっと難しいですよね。

 とにかく、WESCOが100年に渡って守り続けてきたその真摯なものづくりの姿勢を、これからも貫きます。守り続けているものをより深く掘り続ける。それが僕の仕事なのです」。

ヴィンテージラストを使用した「100TH ANNIVERSARY LIMITED MODEL」

JOBMASTER 1st/
肉厚で上質なポーランド産ホースハイドのみを厳選して使用した、JOBMASTERの100周年記念モデル。WESCO本社の地下倉庫に眠っていたという、半世紀前の木型を使用して製作した、100周年にふさわしいこだわりの一足。
価格:24万8,400円(取材当時)

CENTURY BOSS/
こちらもポーランド産の極上ホースハイドを使用し、JOBMASTER 1stと同様のヴィンテージラストを使用して製作されたBOSS。シャフト部分には100周年を記念した、スペシャルアニバーサリーロゴが刻印されている。
価格:24万8,400円(取材当時)

6年にも及ぶ歳月を掛けて完成された、WESCOのヒストリーが詰まった1冊。

BOOTS THAT STAND THE GAFF/
WESCO創業100周年を記念した、スペシャルアニバーサリーブック。『My Freedamn!』の著者で知られる、田中凛太郎とWESCO JAPANが6年にも及ぶ歳月を掛けて完成させた1冊。ブーツケースのようなパッケージにWESCO100年のヒストリーが詰め込まれている。
価格:9,504円(取材当時)

100th Anivirsary Party at Wesco Japan

『Boots that Stand the Gaff』の監修を務めた、田中凛太郎のサイン会をWESCO JAPAN本店にて開催。

会場で販売されたアニバーサリーブックに、丁寧にサインを書く田中氏。

 2017年5月13日(日)。WESCO100周年を記念して製作されたアニバーサリーブック 『Boots that Stand the Gaff』の出版記念イベントが、WESCO JAPAN本店にて開催された。会場には監修を務めた田中凛太郎氏が、L.A.より来日。田中氏のサイン会が行われ、WESCO創業100年という大きな節目を祝った。

 今回のBOOKを製作する上で苦労したことを田中氏に伺うと、膨大な数の資料探しだという。そのため、6年も前にプロジェクトをスタートさせ、資料探しに没頭したそうだ。締め切りが迫る中、引退した3代目社長の自宅から、1910年代~1950年代のオールドフォトが大量に発見され、そのときには、田中氏も興奮を抑えられなかったという。そんな幸運も重なって完成した今作は、120%の完成度で世に放たれた。

 「完全な粘り勝ちで、6年前にプロジェクトをスタートさせたことが功を奏した」と氏は語る。続いてWESCOが迎えた100周年という節目について尋ねると

「100年企業というのは"人間の寿命"の問題で、1世代ではたどり着けません。WESCOの場合は4世代に渡って受け継がれ、今年100周年を迎えました。デジタル社会の現代では、短期間で稼いで、ぱっと逃げる。ということが賢いという風潮がありますが、100周年とはそういう薄っぺらい話をしているわけではない! ということをご理解いただきたいです。それだけに、創業家であるシューメイカー家の皆様には、心よりおめでとうございます! と申し上げたいです」

と熱い言葉を語ってくれた。

実際に製作に携わった田中氏を中心に、WESCOの話題で会場は盛り上がった。

偶然の賜物、あるいは運命のいたずら「1928 H-D JD by SAM OPPIE」

1920年後期から1930年初頭にかけ、2Cam H-Dをベースに、24台のCut Downを組み上げたレジェンドがいた。
現存するのはもはや3〜4台。そのうちの1台が、Wesco Japanの代表・岡本 直の手元にあった。

「25年ほど前、このSam Oppie Specialを復元させたサウスキャロライナのR.L.Jonesは、レーシングモデルの第一人者で、ヴィンテージH-Dの全てを知り尽くした男でしたが、ご子息をオートバイの事故で亡くして以来、表舞台には姿を現さなくなってしまった──」。この車両を輸入した東大阪SEMBAの代表・岡田 学の貴重な証言。

 時は1920年代。ワシントン州シアトルのローカルH-Dディーラーで働きながら、同じ街を拠点とする有名2輪スタントチーム「Cossacks」のオリジナルメンバーとして活躍したのがSam Oppieだ。ヴィンテージH-Dを愛する弊誌『ROLLER magazine』読者で、もしこの名に心当たりがなければ、この機会にぜひご記憶いただきたい。

 彼を語る上でまず外せないのがH-DのJDHである。1915〜1929年までのH-Dがそのラインナップの中核としたビッグツインJ系のスーパースポーツパッケージで、吸気バルブOHV/排気バルブSVという設計のF-Headエンジンや、3spミッションというスペックを共通としながら、61ciから74ciまで拡大した排気量や2Camの採用で、吊るしで85mphをひねり出したハイエンドモデルだった。蛇足だがJ系と同時期にラインナップされたF系は同スペックのマグネトー点火モデルで、派生機にはFHAC / FHADなど市販ヒルクライマーも存在した。

 2Cam H-Dのポテンシャルに目を付けたサムは、よりコントローラブルかつ速くするべく、J系元来の腰高なフレームを切り貼りしてシート高を下げ、エッジーな純正タンクも丸く短く整形し直して、フィッティングした。当時サザンカリフォルニアやサンフランシスコにも、その土地のスピード狂が趣向を凝らしたレーサーは存在したが、サムの手掛けた2Cam H-Dのスタイルはそのどれよりも洗練され、かつ速かった。かくしてSam Oppieが考案したスピードレシピはその後Cut Downと呼ばれたのである。

 「このJDは今から20年ほど前にセンバがアメリカから仕入れた車両です。日本のオーナーのもとに嫁いだのですが、去年、センバに戻ってきた。それまで僕は37ナックルにずっと乗っていたのですが、Cannonballのレースに出場するため、1928年までの走るバイクを探していたので見た瞬間にピンときました」。

 Sam Oppieというレジェンドが組み上げた"カットダウンの源流"というプロフィールは、確かにこのJDの大きな魅力だ。だがそれ以上に岡本を惹きつけたのはその装いだった。

 「外装を彩るマルーンのペイントや、タンクに描かれたHALERY-DAVIDSONを囲うダイヤモンド。WESCOのイメージカラーでロゴ形状もヴィンテージの菱型ロゴとシンクロしました。見た瞬間に運命を感じたのは、多分そんな理由からでしょう──」。

 創業100周年を迎えたWESCO。記念すべき節目を迎えるにあたり、昨年岡本はオレゴン州にあるWESCOの本家へ表敬訪問した後、現地スタッフと共にH-Dに乗り、LAで開催されたカスタムショーBORN-FREEに自走エントリーを果たす。さらに岡本は今年9月開催される大陸横断の旧車レース2018 Motorcycle Cannonballに出走しようと、兼ねてより目論んでいた。

 「Cannonballに1915年のIndianでエントリーし続けているチャボエンジニアリングの木村さんには、普段からWESCOのブーツを履いてもらっていて。ボク自身も何度かレースの応援に行って間近でレースを見ているから、どれだけタフなレースかは知っているつもりだったけど、WESCO100周年という節目もあったので出場を決心した。

 結果的にいえば残念ながらエントリーで落選してしまったけれど、気持ちを切り替え、このJDをアメリカに送りCannonballと同じルートを走ろうと決めた。人生一度きりなのでやりたいことは出来るうちにやりたい、楽しんだもん勝ちです!」。

 蛇足だが、Motorcycle Cannonballは開催毎にルートが変更されるが、今期のスタート地点は東海岸メイン州ポートランド。ゴール地点はなんと100周年を迎えたWESCOの本拠があるオレゴン州ポートランド! 作り話にしても出来過ぎである。

 Cut Downの創始者が残したJDと東大阪の豪傑が、この夏北米大陸横断に挑む——。

2CamのF-Headエンジンには、強化タイプのロッカーアームやインレットバルブスプリング&EXバルブスプリング、オイルポンプからクランクシャフトへの強制給油、マグネトー点火やオープンクラッチなど、サムが施した様々なチューニングが確認できる。

Photographs:Kentaro Yamada
Text:Gonz (満永毅)、Kentaro Yamada
媒体:ROLLER magazine vol.27

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