2018.04.09

大人の趣味の為のライフスタイルマガジン「IN THE LIFE(イン・ザ・ライフ)」

JASON JESSEE/スケート史に永遠の足跡を残す ’80年代のインフルエン...

バイクビルダーやアーティストとしてもリスペクトを集めどっしりと腰を据えたソリッドスタイルで爆発的人気を誇るバーチカルスケーター。’80年代に魅せた空高く舞うエアリアルとスタイリッシュなリップトリックはいまだ健在。SANTA CRUZが誇るレジェンド、ジェイソン・ジェシー。

【The History of Santa Cruz】

Jason Jessee カリフォルニア州ラセルバビーチ出身、ワトソンビル在住。'80年代終わりから'90年代初めにかけて活躍したバーチカルスケーター。一時期はシーンから姿を消すも、Santa Cruzのプロチームに復活。代表作は『Streets on Fire』、『Speed Freaks』、『Risk It』など。

「Santa Cruzがなければオレの人生なんてクソみたいなものになっていただろう」

’80年代にSanta Cruzのバーチカルスケーターとしてシーンに多大な影響を与えたジェイソン・ジェシー。8歳でデルマースケートランチに通い始めてジェイ・アダムスをはじめとするヴェニスビーチの悪名高いレジェンドたちと出会い、トランジションスキルを磨いてきた。初めてのボードスポンサーは10 代はじめに加入したVision。そして’85年、Santa Cruzへと移籍し、’87年にプロに昇格。

「Visionを辞めてSanta Cruzに移籍したのは、デュウェイン・ピータースやスティーブ・オルソンが築き上げてきたパンクロックのメンタリティを支持していたからだ。Santa Cruzがなければオレの人生なんてクソみたいなものになっていただろう。Santa Cruzが30年もずっとスケートを続ける環境を与えてくれたんだ。リッチ・ノバックには今でも本当に感謝している」

Santa Cruzのプロに昇格した2年後に『Streets on Fire』に出演。スケートが反社会的な迷惑行為と見なされていた当時の世情をテーマにし、スケーターが死刑囚監房に入れられるという設定で各パートが展開されていく。本作では、ジェシーはメインの死刑囚の役に抜擢されている。Minute Menの“Paranoid Chant”のベース音とともにジェシーのパートが幕を開け、フォールブックランプでのセッションが始まる。ドッグピスでチャンネルを越え、極上のスタイルで頭上高くフロントオーリーで空を舞う。そして、ジェシーのシグネチャートリックとも言えるtoフェイキーの数々。クライストエアやメソッドエアのtoフェイキー。この男のスケーティングの魅力は、どっしりと腰の据わったソリッドなスケートスタイル。バーチカルのリップでフェイキーアウトをし始めたのもジェシーがその走りである。

同年には『Speed Freaks』もリリースされ、連続してジェシーの素晴らしいパートが公開された。スケートインダストリーが低迷してスケートパークが次々と閉鎖された当時の時代を象徴するバックヤードランプでも再び最高のスタイルを魅せ、フロントピボットのようなシンプルなトリックにそのスタイルを光らせた。

そして、翌年には『Risk It』でディッチやストリートでの珍しいフッテージを織り交ぜつつバーチカルでインバートのtoフェイキーといったお得意のトリックをまたもや披露。この頃から拠点を南カリフォルニアからSanta Cruzのホームであるサンタクルーズへと移している。

こうしてジェシーがSanta Cruzのプロとして活動したのは僅か3年間。この限られた期間の中で、その素晴らしすぎるスタイル、そしてシグネチャーモデルに採用された太陽神のボードグラフィックがしっかりとスケーターたちの脳裏に刻まれたのである。これは、それほどまでにジェシーの個性が強烈だったからだろう。現に、’11年にはTWSが選ぶ世界でもっとも影響を与えたスケーターのリストの24位にランクインしている。’80年代半ばの最盛期から20年以上も経ち、それから数えきれないほどのスケーターが台頭してきた中でのこの順位は素晴らしい。

しかし、Santa Cruzを去り他のカンパニーに移籍をしながらスケートを続けるも、徐々にシーンから姿を消すようになっていく。もちろん、時代がフリップトリックを重視したストリートへと移行したこともその理由のひとつと言えるかもしれないが、原因はそれ以外にあったようだ。

「オレがシーンから姿を消したのはスケートのトレンドが変わったからじゃない。男女の人間関係のもつれが原因だった。そこからオレの人生が急降下していったんだ。9年ほど鬱状態だったからすべてを放棄してしまったんだよ。でもスケートの情熱は心の奥底にずっとあった」

ジェシーがどん底の状態から抜け出すきっかけを与えたのは、やはりスケートだった。そして、Santa Cruzのチームに再び舞い戻り、ブランド設立40周年の大きな話題をきっかけにしてConverse Consへの加入も決定した。

「スケートが遺伝子に組み込まれているんだから今さら止めることなんてできなかったんだよ。Santa Cruzがオレを信じてくれてチャンスをくれたから立ち直ることができた。生きる理由を再発見した感覚だ。Converse Consの加入もSanta Cruzというホームがあったから実現したんだよ。さっきも言ったけど、Santa Cruzがなければオレの人生はクソだ」

現在は自身のカンパニーであるDrivenを運営し、バイクビルダーやアーティストとして様々なフィールドでリスペクトを集めながらSanta Cruzのプロチームに所属している。クソな人生から救ってくれたというSanta Cruzがあったからこそ、ジェイソン・ジェシーはスケート史に永久に消えることのない大きな足跡を残すことができたと言っても過言ではないだろう。

SLIDER.25

がっちりとコーピングを掴み、しっかりと体勢をストールさせる。バーチカルで魅せる完璧なインバートはジェイソン・ジェシーの十八番トリックのひとつ。

『Risk It』がリリースされた'90年頃に生まれ育った南カリフォルニアを離れてサンタクルーズに拠点を移した。ワトソンビルの自宅でトラクターに腰を下ろしレンズを見つめる。自然に囲まれた優雅な暮らし。

ウィスコンシン州のTurf Skateparkの会員カード。期限は '92年7月まで。ぎりぎりSanta Cruzに所属した頃だろうか。

スケートの歴史がぎっしり。ピータースのサイン入りTeeやアダムスの写真。

説明不要、ゴンズの写真やアートワーク。

ジェシーがライフルをぶっ放しているシーンを見たことがあるだろう。自身のライフルのコレクションとSanta CruzからリリースされたAK47を象ったクルーザーボード。

ジェシーが手がけるスケートブランド、Drivenよりリリースされているメッシュキャップ。100% Skateboarderとしっかり自分自身を言い表している。

ジェイ・アダムスとの出会いは8歳のころ。スティーブ・オルソンはSanta Cruzに移籍した理由。

スケートと出会った頃に影響を受けた伝説のスケーター、ジェイ・アダムスのパンク精神が詰まったジージャン。'14年8月15日に他界。

ジェシーはアーティストとしても活動している。Santa Cruzよりリリースされた自身のシグネチャーモデルの聖母マリアを骸骨に変身。祈りを捧げる手は中指を立てさせている。

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