2018.04.16

大人の趣味の為のライフスタイルマガジン「IN THE LIFE(イン・ザ・ライフ)」

ストリートというスケートの価値観を築いた偉人、ナタス・カウパス

ただ仲間とともに可能性や限界を押し広げることに専念した結果 スケートの在り方を永遠に変えることになるとは夢にも思わなかっただろう。SANTA CRUZとのタッグによって記録されたナタス・カウパスの偉業。この男の既成概念にとらわれない視点や考え方の恩恵を、我々は今も受け続けている。

Santa Cruzとのナタスとの出会い

 ストリートスケートの真のパイオニアとしてスケート史にその名を刻むナタス・カウパスが生まれ育ったのは、サンタモニカの“ドッグタウン”と呼ばれる地域。ナタスが幼少期を過ごした’70年代は、ドッグタウンがサーフィンやスケートのメッカとして知られ、多くの若者がサーフボードやスケートボードにハマっていた時代。ナタスも例外ではなかった。そうしてボードスポーツを始めたナタスは、’83年に出場したサーフコンテストで見事優勝を飾り、当時Dogtownの設立者のひとりであったスキップ・イングロムが趣味として手がけていたSMAのスケートボードを賞品として手渡される。それがナタスのスケートキャリアを始めるきっかけとなった。

 やがてナタスはSMAのライダーとして活動し始め、ノーハンドのウォールライドを考案。さらには当時フリースタイルのトリックとされていたキックフリップをマーク・ゴンザレス(以下ゴンズ)とともに取り入れながら注目を集めるようになる。まだストリートスケートといったカテゴリーすら存在していなかった時代の話だ。ナタスの注目度が上昇するとともにSMAの需要も増加したのだが、まだ弱小カンパニーだったためにファンのニーズに応えることができなかった。そこで、ナタスは僅か16歳という若さでSMAのボード製造とディストリビューション契約のオファーをSanta Cruzに持ちかける。これがSantaCruzとナタスとの出会いである。

 資金豊かなSanta Cruzの傘下での活動を開始すると、間もなくビデオ撮影の機会が増えるようになっていった。そして、’87年に『Wheels of Fire』がリリースされ、ナタスのデビューパートが世に放たれたのである。ノーズを軸に片足で180ターンする通称ナタススライド、消火栓を越える高さのあるオーリー、そしてウォールライド。特定のトリックを狙うというよりは、流れるようにフロウし続けていく。

 そして、’89年には『Streets on Fire』がリリースされ、ナタスのパート第2弾が公開。ここでは、これまでオーリーで越えたりフットプラントに使用したりした消火栓を違った視点で捉え、ボードの腹を軸に消火栓の上で体ごと720°回転する“ナタススピン”を披露。このトリックが今日でも伝説のトリックとして語り継がれているのは言うまでもないだろうが、実は等の本人はただのジョークとして撮影したということはあまり知られていない。そして、本パートで忘れてはならないのが、短いものではなく、ロサンゼルスのフェデラルビルディングの本格的なハンドレールで魅せたボードスライド。このサイズのハンドレールでトリックが収録されたのは、本パートが世界で初めてだったと記憶している。

 その後、世界初とされるスケーターのシグネチャーシューズをリリースしたり、スケートシーンに新たな美的センスをもたらしたり、101やVitaを立ち上げたり……実際のアクションとしてのスケート以外にも実に様々な功績を残しているが、ここではその話は控えさせていただきたい。

 ナタスは、バーチカルが主流だった時代にオーリーやフリースタイルのトリックをゴンズとともに取り入れてネクストレベルに押し上げ、ストリートでのスケートを発展させてきたのである。ナタスが今日もスケートコミュニティでリスペクトされるのは、人間離れした身体能力や極上のスケートスタイルだけが理由ではない。ユニークな視点や既成概念にとらわれない考え方でスケートボードの在り方を変えたことが一番の功績なのである。ナタスは、誰も気づかなかった街のオブジェを、スケート可能なテラインとして捉えたのである。

 このように、スケートシーンにナタスが残した絶大な功績は決して消えることはない。そして、Santa Cruzの存在があったからこそ、ナタスの偉業が映像として記録され、ストリートスケートの発展を加速させることができたのである。今一度ナタスのパートを振り返り、スケートコミュニティの宝とも言える男のクリエイティビティに目を向けてみるのも悪くはないだろう。そこに現代にも適応できる新たなヒントが隠されているかもしれないのだから。

SLENDER Vol.25

スケートキャリアのスタートのきっかけは、'83年に出場したサーフコンテストで優勝したこと。サーフボードにもナタスを象徴するヒョウのグラフィックが記されている。

ナタスのシグネチャーモデルが初めてリリースされたのは'84年のこと。アイコン的なヒョウのアートワークを手がけたのはケビン・アンセル。

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