2019.06.18

大人の趣味の為のライフスタイルマガジン「IN THE LIFE(イン・ザ・ライフ)」

VWのある暮らしを愉しむ「退化の改心」

歳を重ねるごとに、クルマに対する姿勢、そして好みや方向性も変わるもの。そこで、"退化の改心"と称して、フォルクスワーゲンに対する今の心境を綴る。

生まれてすぐに、VWに洗脳されてきた私

 私がフォルクスワーゲンという車と付き合いだしたのは、今から48年前。私が生まれた朝、わが家に'69年型フォルクスワーゲンがやって来た。物心がつく前からドップリと、父親にワーゲンに洗脳されていたのでした。買うミニカーはいつもワーゲン。夏休みの工作もワーゲンのハリボテ。

 父親は「ドイツのモノは信頼出来る、中でもフォルクスワーゲンは壊れない、水が要らないから砂漠でも走れる、雪道にも強い(当時国産車が上れなかった雪の山道を自分のワーゲンだけは難なく登れたそうだ)」と、そういう教えを子供のころから私に授け、私は育ちました。

 そして18年の歳月が流れ、私もクルマの免許を取りました。初めて運転するクルマも当然'69年型フォルクスワーゲン、父親は助手席で私に厳しく乗り方を教えてくれました。そして私が自由に使って良いという許可が出て、晴れてワーゲン乗りになれました。しかし!
   
 厳しい掟があったのです。まずワーゲンはそのままで完璧だから余計なモノは付けてはならぬ。穴を開けたり切ったり、元に戻せない加工は絶対にするな! 夏の暑い時期に家族からクーラー待望論が持ち上がっても「三角窓があるだろう!」と、家族みんなで説教をくらいました。

 しかし、そんな父親も病気で亡くなり、しばらくするとワーゲンにトラブル発生! ヤナセの診断ではミッションが劣化で修理費がかなりかかるそう。当時、大学4年生の私にはとても払えない金額でした。

 そこで泣く泣くワーゲンとはお別れすることになりました。ヤナセの人が引き取って行くときのワーゲンの後ろ姿は、今でも忘れられません。

空冷から水冷、そしてまた空冷

 就職で、東北は仙台へ。'69年型と別れてから、通勤の足として水冷式のゴルフに乗っていました。東北の寒い朝でもエンジンは一発始動、快適なエアコンも付いています。しかし何かが足りないのです。

 ある時、仙台の山奥の空冷ワーゲンの専門ショップが、メキシコ製の新車を取り扱っていると聞きつけ、早速電話してみました。すると電話にはぶっきらぼうな男性が出て、かったるそうにこう言ったのです。「ああ取り扱っているけど、一度見に来てみてください」。

 早速お店に伺うと、ツナギを着た細身のスラリとした男性が出て来ました。電話に出た人で社長さんでした。「電話くださった方ですね。うちのクルマ見て行ってください」。あたりを見回すと、お世辞にも売り物とは思えないワーゲンがずらりと並んでいた。ビックリしている私に「ここにあるのはベース車。メキシコ製も良いけど、ドイツ製をお客さんの好きなように仕上げるから安心して」とニヤリと笑ったのです。

 できたらオリジナルのワーゲンが欲しいことを告げると、社長は一番奥にあったシートのかかったクルマを指差し、シートを取り除くと、そこにはオレンジ色で塗装が日焼けした'72年式スタンダードがありました。見た目は汚いけど農家の納屋にしまってあったから腐れや錆はなく、1,200ccのエンジンは絶好調! 一発始動で良い音を響かせる。しかもワンオーナーのヤナセ物オリジナルの車です。これに乗りたい! そう思いました。

 私は帰りがけに、乗っていたゴルフを車買取店へ持ち込んで売却、すぐさま’72年型スタンダードを購入したのでした。それからは、いままで足りなかった何かが戻って来ました。通勤も買い物も、楽しいヒトトキに変わったのです。そして大洗のイベント『ブレス』で、イベント初デビュー。貴重なオリジナル車やカスタムカーに度肝を抜かれました。あいにく、アワードもカニ(景品にあったのです!)も貰えませんでしたが、大満足。やっぱり私は空冷ワーゲンに乗って正解だと感じました。
 
 

 
 
 しかし、ここで私にある異変が起きていたのでした。「旧いワーゲンに乗りたい症候群」。普通の人なら、今度出た便利な新車に乗りたい! となるのですが、これは「不便で旧いクルマに乗りたい」と思ってしまうから厄介なんです。イベントから帰ってすぐさま山奥の社長のところへ。

 私「社長、もっと旧いワーゲンに乗りたいんですが」。
 社長「そういえば奥にあったかもしれないなぁ」。

 連れて行かれた場所は、草ぼうぼうのお店の裏の敷地。そこにあったのは、え? これ売り物なの? という悲惨な状態。塗装はガサガサ、パーツは外され(盗難防止のためらしい)、エンジンなんか動くのか? 誰が見ても廃車じゃないの? と思うくらいのクルマでした。

 社長は「これは1953年型、ちょうどスプリットからオーバルに変わった年式だね。見てくれは良くないが、錆や腐りは皆無だぞ」と言って、続けざまに「昨日着たヤングが購入検討するっていってたなぁ」。言葉が言い終わらないうちに私は「このクルマ買います!」と言ったのでした。

 それから塗装や部品の調達をして組付けに数ヶ月、やっと納車になりました。注文したときの緑の木々が、すでに紅葉になったころでした。今まで乗って来たワーゲンに比べると、格段にノロイ、ライトが暗い、鈍臭い感じ。しかも天張りが付いておらず鉄板むき出し。でも毎日がさらに楽しくなりました。

 ところが、旧いワーゲンは初めて迎えたオーナーに対して試練を与えて、自分に乗るに相応しいかを見定めることがあります。もちろん私の53もそんな試練を与えてくれました。

 バイパスを走っていると、次第に加速しなくなってエンジンが止まる。なんとか惰性で路肩に停車。押しがけをしてなんとか走り出しましたが、その症状は頻繁に起こるようになりました。停車するときは前方に傾斜がある位置に停車して、ちょっとの傾斜を利用して押しがけをするという技術を体得しました。

 こういう意地悪をする可愛さがたまらなく好きになって、年式と違っていたテールランプやワイパー、ヘッドライト、ラジオ等の部品を取り寄せて、コツコツと外観を当時の状態へ戻して行きました。私と53は次第にシンクロ率が高まって行きました。

進化させちゃった〜

即購入を決めてしまった、’53年型ツヴィッターモデル。一時期は、チューニングエンジンに憧れて積み替えたものの、今ではスタンドエンジンに戻して、自分のVWライフをサポートしてくれる愛車となっている。

 
 私がお世話になっていたVWショップさんは、エンジンビルダーではかなり高名なお店でした。お客さんにレース等にも参加する山形のワーゲン乗りのパン屋さんがいて、かなり大排気量のエンジンを載せていました。そのワーゲンの走りを見せられると次第にパワフルなエンジンが欲しくなってしまったのです(当時は若かったから)。

 でも大きな加工とかはしたくない。パン屋さんに相談したら「1,641ccくらいのエンジンなら、そのまま乗せられますよ」と言われてショップへ行き、「1641のエンジン組んでもらえますか?」と進化させることにしてしまったのでした。当然オリジナルの縦割りミッションは使えないので、高年式の1600用のミッションへの載せ変えも同時に行われました。

 出来上がったエンジンを乗せたオーバルは今までと全く違うパワフルなオーバルに変わっていました。どんな坂道でもストレス無く、高速道路も一般の車と変わらない速度で巡航(こっちの方が速かったかも?)できました。

 本当に快適でしたよ。しかし、私にとっての転機が訪れました。それは数年後、岩手県の北上市で開かれたイベントに参加したときです。そこで見た、老紳士Kさんの完璧オリジナルの1959年型を見て、衝撃を覚えたのです。

 Kさんとお話をしてクルマの隅々まで見せてもらった時にその美しさに感動してしまいました。何から何まで買った当時のままなんです。Kさん曰く「何も特別なことはしてないよ。足さず引かず、普通の車として点検整備して壊れたら直す、ただそれだけです。当時はショップもなかったから、ヤナセに行くくらいだよ」。その言葉とKさんの歩んできたワーゲン道に感動しました。

 そして私の頭にはこういう言葉が浮かびました。「退化の改心」。今まで自分がして来た、"進化させるスタイル"を改心して普段のままに乗る。その時代時代のワーゲンの良さを見つけて、製造された当時の姿に近いように戻してあげる。その方が長く乗ることが出来、クルマも喜んでくれるようでなりませんでした。まぁ普通なら便利さを捨て、不便な苦行へ突き進むなんて、どう見ても変人ですよね?

エンジン探しの旅

 それからは毎日、雑誌等でスタンドエンジンの出物を探しました。貴重なエンジン、出物も少なく困っていました。高価な買い物なので、休みの日もバイトをしてお金を貯めました。そして藁にもすがる思いで、当時拝見していたVWサイトの掲示板でTさんに相談すると「遠いけど『ロシナンテ』のドクター清水さんなら相談乗ってくれると思うよ」。このようなアドバイス受けて、次の休みに埼玉までエンジン探しの旅に出かけました。『ロシナンテ』に着き、ドクター清水さんと初対面。なんか口数少なくクールな感じのするダンディな方です。

 「スタンドエンジンならこれだね。ベンチテストもしてあるよ」と指差したところには、状態の良いエンジンがありました。私が探していた理想のエンジンでした。その場で53を預けて、用意していただいた代車で、仙台まで帰りました。しかも代車がワーゲンなのには驚きでした。

 ついでにミッションもオリジナルの縦割りミッションへ交換。ベースを切った貼ったりしていないので、すんなりと載せ換えが完了しました。やっぱり元に戻せないような加工の仕方をしなくて良かった、父親の教えがキチンと身についていたおかげですね。

 53を受け取って、帰り道の運転は天にも昇るルンルン気分だったことは、いまだに記憶しています。

やるならトコトン

 エンジンも載せ換え、楽しいワーゲンライフが始まりました。でもここまで来ると人間の欲望とは怖いモノですなぁ? 当時の53の内装は丸裸状態、天井も鉄板むき出しで、暑さ寒さもダイレクト攻撃して来ます。雨が降ると会話も出来ない程、雨音が鳴り響きました。しかもフロントシートは60年代中期のモノが付いていました。

 ならば今度は内装を退化させよう。まずは年式に合致するシート探しから始めました。あいにく国内で見つけることが出来ず、友人の仲介でベルギーの方に売っていただくことになりました。シートは航空便で届けられ、箱を開けるとオリジナル生地のシートが出て来ました! もうテンション上げ上げですね。連日、VW大百科等を読みあさっては、時代別の内装の勉強をしました。

 バイトで貯めた資金をはたいて再度埼玉の『ロシナンテ』へ。ドクター清水さんに、ヨーロッパ仕様の布製の内装で張り替えをお願いしました。生地はオーダー製らしく、しばらく時間がかかるということ。でも待っている時間も楽しいのだ! 1ヶ月くらいかかりましたかね? 作業終了の電話が来たときは、ガッツポーズをとりそうになりました。

震災

大きな地震も乗り越え、私の人生とともに歩む53。オリジナルの姿で、次のオーナーに引き継がれることを祈っている。運よく、私のもとにやってきて、運よくいろいろな方と巡り合わせてくれた53に感謝、そして次世代のオーナーに元気なクルマを捧げたいと考えています。

 未曾有の大きな地震が2011年3月11日(金)、東北地方を襲いました。私の住まう宮城も、多大な被害を受けました。私は夜中に一時帰宅を許されて家へ戻る真っ暗闇の中、被害状況を確認。最後にガレージのシャッターを上げようとすると開かない。なんとか小さな窓から入り込んで確認すると、地震の揺れで輪留めが吹っ飛び、53はシャッターへ突っ込んでいる状態。

 すぐさまシャッターから引き離して確認するとフロントバンパーが若干上を向いた状態になっていました。なんとか力技で修正は出来ましたが。関連部品のダメージが気にかかるところでした。

 53のガソリンは満タン状態にしてあったので、スタンドの長蛇の列に並ぶことなく、知合いの安否確認、物資の輸送や水の調達などに奔走しました。燃費が良いのがこういう場面で助かりますね。ガソリンスタンドが平常販売を開始したひと月以上先まで、無給油でがんばりました。

 そして、VWショップも平常に営業を開始して当時からお世話になっていた仙台の『ジュースアップ』さんへ。ダメージの確認と点検をお願いに行きました。バンパー自体は問題なく、関連した箇所にも損傷は見当たりませんでしたが、配線が非常にヤバい状態になっていることが発覚しました。合わせてミッションからの異音を指摘されました。

 「でもこういうことがなければ、まずは点検なんか受けなかったでしょうから不幸中の幸いですね」。

 修理は後日考えるということで一旦持ち帰ると、帰り道でギヤが入らなくなるトラブルが発生。なんとか3速だけには入ったので騙し騙し運転して、安全な場所へ移動させて『ジュースアップ』さんへ電話、そのままドナドナの入院になりました。原因はミッション内のベアリングの劣化でした。長年使っているモノだから当然摩耗はします。仕方がないことです。ミッションケースも再使用が難しい状態だったらしく、縦割りミッションを緊急で探すことに。

 こういうときって、何故か救いの手が差し伸べられるんですね? タイミングよくミッションを提供してくださる方が現われました。一旦バラして現状を確認、ベアリングは新品に交換されました。こういう箇所には、時代に拘らず柔軟に良い部品を使うというのも、"退化の改心"の一つです。動けなくなったり停まれなくなったら元も子もありませんからね。

 配線の方も一緒に交換して頂きました。旧い配線は新車時からのもので、表面が固くなってしまっていました。ヒビから何らかの要因で火災になることもあるらしいので、これも交換して正解でした。

 おかげで、走行時のミッションの音が格段に静かになり、普通に会話出来るくらいになりました。『ジュースアップ』の社長さんも、新車のオーバルってこんな感じだったのではなかったのかといっていましたが、続けざまに「そのころ私は生まれてもいないですから、わかりません」って笑っていました。配線の交換によって、エンジンのかかりも良くなってヘッドライトや灯火類も格段に明るくなりました。これで後数十年は安泰でしょう。

最後に

 "退化の改心"とは、別にカスタムカーを否定することではありません。それはそれで魅力がたっぷりだと思います。

 でも私は、なるべく当時のままの姿で普段着のように乗って行く、そして次の世代に、当時の形に近い状態で引き継ぐこと、それが今最大の重要任務だと思っております。100歳を迎える36年後、直す箇所は色々あるでしょう。

 私はすでに居ないかも知れません、でもこのワーゲンが1953年当時に近い元気な姿で走ってくれていることだと信じてここにペンを置きます。

 "ちょっと可愛い、不便な乗り物へフォルクスワーゲンに捧ぐ"

text & photo:Taichi-NASHIMOTO 梨本太一
媒体:LetsPlayVWs 52

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