2019.02.08

大人の趣味の為のライフスタイルマガジン「IN THE LIFE(イン・ザ・ライフ)」

手塩にかけた32年式ヒルクライマーを巡る、ストレンジ・ストーリー。

何気なく訪れたスワップミートで手に入れた、見慣れぬフラットヘッド。そのときにはそれが、1952年度のAMAチャンピンシップで2冠を制した名機だとは、まだ知る由もなかった――。弊誌御意見番ナックルバスターことJeff "Hollywood" Baerが綴るファクトリーレーサーへの憧憬の念をお届けする――。

歴戦の勇士とその愛機を巡るストーリー。

1950年代後期にLarry FRANZ が着用した、H-Dレーシングジャージの実物。保管状態も良かったのだろう、状態も抜群!

 今から25年ほど前、オハイオ州ワセオンのスワップミートで見慣れない45ciのフラットヘッドを見つけた。建物の横に駐車したトレーラーの上にあったのだが、興味を惹かれた好きモノたちで人だかりになっていた。オーナーとはすぐ意気投合して仲良くなったが、それが"バックヤード"ヒルクライマーだということ以外、詳細は何も知らなかった。

 「モーターを交換して乗れるように45SVのフレームもつけてやる。スペアのプロケットもあるよ」とのことだった。超カッコ良かったし、そんなに高くなかったから、思い切ってそいつを買うことに決めた。オレは昔から"珍妙なモノ"に惹かれる傾向があるのさ。      

 スワップミートの開催中、そのバイクをオレのブースに停めておいたら、ひとりの男が話しかけてきた。聞けばなんと70年代にこのバイクを所有していたセカンドオーナーで、当時ラリー・フランツ・シニアというヒルクライマーから購入したと教えてくれた。買ったバイクは家の地下室に入れたきり、長い間触りもしていなかったが、その"ラリー・フランツ・シニア"という名だけは記憶したんだ。

 それから数年後、同じワセオンのスワップで、地下室に眠るSVとよく似たバイクを見かけた。似ていたけれど、オレのより新しかった。バイクの横には年老いた男が座っていた。オレは老人に自分のバイクのことを話したら、「それは白いフレームか?」と聞いてきた。なぜそれを知っているのか不思議に思いながら、オレは老人に名前を訪ねると、彼は「ラリー・フランツ・シニア」と名乗ったんだ――。

 数年前にワセオンで手に入れたフラットヘッドは、もともと彼が所有していたヒルクライマーであり、1952年の全国大会で優勝したチャンプライドだった。かの『Harley Enthusiast』誌の1952年10月号や、『Iron Horse』誌の1983年4月号に、ラリーとそのレーサーの記事が掲載されたことも教えてくれた。そう、ヒルクライムの世界でのラリーは、知る人ぞ知る存在だったのである。

 1940年、ラリー・シニアはオハイオ州コロンバスのH-Dディーラーで働くヒルクライムの愛好家、A.W.フレンチからそのバイクを買ったという。ちなみにフレンチは、1939年の全国大会でチャンピオンになったばかりだった。ラリーは1940年からそのバイクを徐々にアップデートしながら、60年代までレースに参戦したという。1970年に売りに出し、巡り巡ってオレの元にやってきたのだ。

 ラリー・シニアとの運命的な出会いを経て、知ることになったSVレーサーの歴史に、オレはとても興奮した。1952年の『Harley Enthusiast』誌を探し出して、俺のバイクの特集ページを切り取ってポスターを手作りして、ラリーに送った。また彼に会いたいと思ってね。でも何も返事はこなかった。

Larryが愛用したレーシングブーツ&レザーパンツ。ブーツの左側は60s初頭ペンシルベニアでのヒルクライムでクラッシュして、フランツが足の骨が折った事故の際に、切り開かれている。

1930年代後半から40年代にかけてLarryが愛用した、ウールのレーシングトラウザーと布帛のヘッドギア。

 それから何年も経ってから、ラリー・シニアの息子のラリー・ジュニアから電話がかかってきた。ラリー・シニアが他界し、その持ち物からオレの名前と電話番号を見つけたという。ジュニアは父親とヒルクライムした思い出や、バイクや家族のことを話してくれた。その翌年、オレはペンシルべニア州ジェファーソンのスワップでラリー・ジュニアとばったり出会った。彼は父の遺品を出品していた。

 レース用ジャージーやヘルメット、革製品、ブーツなどだ。その翌年のワセオンのスワップでも彼に会った。その時はラリー・シニアのレーサーのオリジナルタンクを出品していた。それはペイントもデカールも当時のままだった! そのほかにも45ヒルクライマーのラリー・シニアが所有していたパーツがゴロゴロと転がっていた。無論、オレはすべて買い占めたよ。

 1996年の夏まで時代を早送りしよう。オレはニュージャージー州からペンシルべニアへ引越すために、古い机の中を片付けていた。机の中から見つけたのは、なんとラリー・フランツ・シニアからのオレ宛の未開封の封筒だった。全く記憶のないその手紙を動揺を抑えながら開封すると、ラリー・シニアからの文書とコメント付きの写真が山ほど入っていた。

 信じられない! 消印から手作りポスターを送った1ヶ月以内に返信してくれていたこともわかった。彼の温かい気遣いに気がつかなかったオレは、今は亡きラリーに感謝することすらできなかった。当時の妻(現在は元妻)が掃除をしたときに、机の中に放り込まれたきりになったラリーからの手紙……なんという運命のいたずらだろうか。

Larryのレーサーに搭載された、ファクトリーメイドの"R"モーター。排気量45ciの1932年製で、手作りのエアインテークが付く非常に稀なアルコール燃料用Schebler 製キャブレター"Barrel"や、クーリングフィンが剪定されたLate 30sのWLDR用アルミヘッドが組まれている。これぞ至高の宝!!

レジェンドの実子ジェリーとの出会い。

Larryの長男より譲り受けた、沢山のパーツの中にあったこのフューエル/オイルタンクは、1932年のH-Dオリジナル。1951年にLarryがペイントし、その際に貼ったウォーターデカールも当時のもの。1952年にLarryが年2回チャンピオンシップを獲得したときのレーサーに使用された、由緒ある逸品。

 時は流れ2010年、このレジェンドにまつわる信じがたい偶然が続いた。オレは相変わらずワセオンのスワップにいた。カナダの友人のリック・ウォルフが、ヒルクライマーを売り出している男を紹介してくれた。数分間話して気がついた。彼はラリー・シニアのもうひとりの息子、ジェリー・フランツだった。ラリー・シニアのバイクとパーツ、レース用品を持っていることをオレはジェリーに伝えた。

 すぐに意気投合し、話し込んでしまったが、聞けばジェリーはラリー・シニアが1985年くらいまで乗っていたバイクで、今でもヒルクライムしているとのこと。それはラリー・シニアの最後のヒルクライマーで、かなり改造された1937年のファクトリー・レーサーだった。蛇足だがラリー・シニア自身は、1985年にヒルクライムを引退したそうだ。

 オレはそのバイクに興味がある、とジェリーに伝えて連絡先を渡した。それから何か月も経過したが、ジェリーから連絡はなかった。そしたらある寒い冬の日に分厚い封筒がポストに届いた。ジェリーからだった。手紙にはワセオンで会った後、心臓手術を受けたことが綴られていた。そして彼のバイクとその他のグッズに、まだ興味があるかどうか俺に聞いてきた。もともとラリー・シニアが所有していたバイク、パーツ、書籍の写真がたくさん同封されていた。

 その写真をじっくり見て考えた……。「欲しい! すごく興味がある!」。ジェリーと連絡を取り合い、7月にワセオンへ行く途中に彼の家に立ち寄り、それらをとりあえず見せてもらうことにした。

1941年3月18日、H-D本社のエンジニアデパートメントからLarry宛てに送られた手紙。軍需拡大によりダウメタルピストンは供給できないことや、レーシング・バルブスプリングス、シェブラーのアルコールキャブについて記載されている。

 2011年7月、オレはワセオンのレースで乗る愛機「1938 H-D WLDR」のフラットトラッカーをヴァンに載せてオハイオへ向かった。ジェリーの家で例のヒルクライマーを買うかもしれないので、ヴァンにはスペースが必要だった。ジェリー宅に昼頃到着したが、なんと6時間も居座って、バイクやその他のグッズを思う存分にじっくりと見せてもらった。

 ジェリーと彼のワイフはオレを家族のように温かく迎えてくれたし、ワセオンに向かうオレに弁当とブラウニーまで持たせてくれた。書くまでもなく、オレは1938年式のH-Dヒルクライマーとジェリーが所有していた全てのパーツを購入した。ラリー・シニアがスイングアームとガスショック・リア・セクションに換装した際、残しておいた純正パーツなんていう素晴らしいブツも手に入った。

 レースで勝つための最強のバイクにするために、長年に渡り何度もアップグレードされたラリースペシャルだが、38年のファクトリーバイクに装備された当初のハードテールやスプリングフォーク、ホイールなどの極めて希少な純正部品も大切に保管してあった。

 さらにジェリーが残していたのは今挙げた1937年のスペアパーツだけじゃなかった。オレにとっての"聖杯"が混ざっていた。それはラリー・シニアのヒルクライマーのSchebler Racing Alcohol "Barrel" Carb にコンプリートする、WLDRトップエンドがついた1932 Rエンジンだった。A.Wフレンチが1939年にチャンピオンになったモーターがそこに鎮座していた。

 ジェリーから譲り受けた書物や資料もすごかった。手紙、記事、雑誌、パーツに関する本、マニュアルなどがいっぱい詰まった箱の中には、A.W.フレンチがラリー・シニアに宛てた手紙や、ラリーが受け取ったバイク関連の企業や組織からの手紙が含まれていた。でも一番すごいのはH-Dファクトリーの技術部がラリーへ1941年3月に送った手紙だった。

1983年4月号の『Iron Horse Magazine』。65歳にしていまだヒルクライムに参戦していたLarryを讃える記事が掲載される。これは発売時に出版社から送られてきた見本誌のオリジナル。

いわずと知れた。H-Dの会報誌“The Enthusiast”。1952年の8月に発刊されたこの号では、Larryが獲得したダブルチャンピオンの記事がフィーチャーされる。

 その手紙はラリーがH-Dファクトリーへ彼のヒルクライマーの性能を向上させるためについて問い合わせた手紙の返信だった。その手紙を読み終えたオレは、あることに気がついた。この手紙はオレがたった今手紙を持つ反対の手で握っているSchebler Alcohol Carbについて書かれたものだった。その事実を認識した時の興奮たるや!

 以前ラリー・ジュニアから購入したパーツとラリー・ジュニアから譲り受けたパーツを組み合わせると、さらに驚愕の事実があった。たとえばShebler Alcohol carbはマニフォールドがなくなっていたけれど、ボルトが2本だけついていた……それで20年前にラリー・ジュニアから買ったパーツの入った箱の中を探ってみると、なんと3本目のボルトがついたマニフォールドが見つかった! 離れ離れになっていたパーツをオレが何十年振りに再会させたのさ。冗談みたいだろ? 

 ジェリー・フランツとは今で交遊を持っている。ヒルクライムについて電話したり、ワセオンで会ったり。オレがフラットトラックレースに出るときには、家族と一緒に応援に来てくれる。

 ある年、ジェリーから1953年式のサービカーのセールオファーがあった。それは1960年代に年老いたヒルクライマーから購入したものだった。オレは「買うぜ!」と返事した。かくしてオレは2013年8月、50歳の誕生日にジェリーの家に行って、1953年のH-Dサービカーを手に入れた。ジェリーは親父のコレクションだったもののいくつかもくれた。ジェリー宅で夕飯をごちそうになったあと、アルバムを見せてもらった。若かりし日のラリーとその家族の写真は本当に素晴らしく、おかげで生涯最高と呼べる誕生日となった。

  2014年6月、ジェリーとダイアン夫人が、何十年もかけて集めたフランツ家の歴史を見に、オレの家まで遊びに来てくれた。ジェリーはすべてのパーツの思い出話を語ってくれた。さらにオレとジェリーは1937年のヒルクライマーに、アルコールとニトロをぶち込んで火を入れた。オレはそいつに打ち跨り、ホールショットで家のバックヤードを横断した! その翌日、ジェリーとラリー・シニアが長年に渡り、何度もレースに出たフリーマンズバーグ・ヒルクライムに、37年を持ち込んだ。ジェリーの古い友人たちにも会えて盛り上がった。あれは本当に最高の1日だったよ。

 今でもオレはフランツ家から譲り受けたパーツや資料をひっくり返して楽しんでいる。あの箱に中には、何度見ても驚くべき発見が潜んでいる──。

レジェンドとその息子が手掛けたもう1台の戦闘機「1932 H-D FACTORY HILLCLIMBER」

 Jeff Baerが秘蔵するもう1台のヒルクライマーは、1937年式のファクトリーレーサーに、Larryとその息子Jerry Franzが手を入れたスペシャルで、2011年にJeffが譲り受けるまでJerryの元にあった。

 1937年のオリジナルパーツはフレーム前半分とシングルスピードの専用トランスミッションのみ。親子2代のレーサーの手が入り、アップデートされる。1953年のH-Dの45SVケースに50s KRのトップエンド、フェアバンクスマグ、アルコール/ナイトロ用キャブなど前述の32年と同様の作法でチューン。一方骨格はガスショックのスイングアーム付き。70sH-DのオフロードモデルMX250のリアフェンダーやハイドローリック・フロントフォークで戦闘力を高めている。

 1932年にH-Dファクトリーで製造された由緒正しきヒルクライマーで、1940年から1969年にかけてパイロットのLarry自身が、さらなるアップデートのために手を入れている。Larryのみが知る秘密のレシピが投影されたエンジンは、1941年式の45SVのケースに50s KRのトップエンド、フェアバンクス・モーリスのマグネトーや、デロルトのアルコール/ナイトロ用キャブレターが視認できる。

 ファクトリースペシャルのヒルクライムシャーシの特徴として、ダブルダウンチューブフレームやリフトアップされたトランスミッション・マウント、スーパーナローな専用スプリングフォーク、リアのバンドブレーキなどの装備が挙げられる。

 Flanders製のハンドルバーやBates のシート&パッドなど往時のアフターパーツへの変更と共に、リアセクションの延長や"Wedge"スタイルのフューエルタンク、ライザー、アルミフロアボードとコントロール、ライドコントロールなどを自身でワンメイクしている。

 寝ても覚めてもオールドH-D──本当にそれしか頭に無い人間、それがJeff Baerだ。

 年中ビルドしながらライドもかかさず、さらにレース好き。天候が悪ければ、雑誌や書物から古いH-Dに関する史実を解析したり、ガラージにストックした膨大な量のパーツを整理したり。そんな生活をもはや40年近く続ける生粋のバイカーの元、レジェンドLarry Franz SR.の愛機は大切に保管されている。

 これらは無数のモディファイを経て不必要になったパーツだが、フロントフォークやホイール、クロモリ製のリアセクションなど、1937年当時の極めて希少なファクリーオリジナルパーツだ。「Franz家の偉大なところは、Larryが長年レース活動で用いた何から何まで全てを、しっかり保管していたところだ」とはJeff Baerの弁。

Photographs:Ken Nagahara
Text:Jeff Bare
媒体:ROLLER magazine vol.23

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