2018.02.14

大人の趣味の為のライフスタイルマガジン「IN THE LIFE(イン・ザ・ライフ)」

C/W.ニコルさん#3「私は日本人になる前、北極圏を15回探検した」

21歳のニコルさん。手にもっているのは主に食料としていたホッキョクイワナだ。大きなものは体長1メートル近くにもなるという。

北緯66度33分より北の地域を北極圏という。夏は太陽が沈まず、冬はほとんど日が当たることはない。そんな最果ての地を15回も探検したニコルさんに、その地で暮らすイヌイットの素晴らしさを伺った。

12歳に夢見た北極圏への冒険は17歳という若さで実現させた

魚を手に持ち笑顔の青年。実は若かりし頃のC・W・ニコルさんだ。場所は北極圏。ご存じの方も多いだろうが、ニコルさんは日本に来る前、北極圏を15回も探検している。なぜニコルさんはそれほどまでに北極圏に魅せられたのか。今回はその理由を伺ってみたい。

「12歳のとき、私はある16㎜フィルムの映画に衝撃を受けました。そこでは北極圏に生きるイヌイットの姿が生き生きと描かれていました。私はそれを見て、自分も探検家になろうと決めたのです」

来るべき日に備え、お小遣いを少しずつ貯めつつ、カヤックやハイキング、射撃の練習を欠かさなかった。さらに1人の大人を味方につけた。

「学校の先生の中に、動物行動学の権威で後にノーベル賞も受賞した、コンラート・ローレンツの教え子がいました。彼は私より10歳年上で、子どもができたため生活のために先生になっていましたが、本当は研究を続けたがっていたのです。私は彼に北極圏の素晴らしさを根気よく伝えました。やがて彼もその気になり、ついにモントリオールの大学の博士号を取得したのです。彼は『旅費は出せないけど、一緒に北極圏に行ってケワタガモの研究を手伝ってくれないか』と私を誘ってくれました」

だが当時17歳だったニコルさんに、ご両親は大学に進んでほしいと望んでおり猛反対された。諦められないニコルさんは、有り金をはたいてカナダまでの切符を手に入れ「ちょっとキャンプしてきます。心配しないでください」と置き手紙を残して家出同然で飛び出す。パスポートを取得するには親のサインが必要だったが、父親のサインを何度も何度も練習し、自分で書いてしまった。

「北極圏にわたる前に先生とモントリオールにいたのですが、興奮が抑えきれない私は先生にとってうるさすぎたので、『先に行ってろ』と言われました。北極圏の起点、クージュアックにひとりで向かったんです。でも目の前に幅が2〜3㎞もある大きな川がありました。5月だったのですが凍った川がとけ始めた頃でカヤックでもソリでも渡れない。さてどうしようかなと思っていたら、地元の神父さまが『うちで住みなさい』と声をかけてくださって」

ニコルさんは神父の家で初めてイヌイットと出会った。言葉は通じないが、アザラシやトナカイ、ライチョウなどの料理をごちそうになり自然と仲良くなった。そしてニコルさんはイヌイットと共に暮らし始めた。

「私はイヌイット語を話せないし、イヌイットは英語をほとんど話せない。でもさほど不便はしませんでした。狩りに出かける、動物の皮を剥ぐ、魚を釣る、犬ぞりの用意をする。行動が先にあったから、言葉がわからなくても意思は通じたのです」

先生が到着すると調査を手伝った。だがまたしても「私はうるさすぎたため」先生に疎まれ、「君は君で別の調査をしろ。できるだけテントから離れた場所でね」と言われた。ニコルさんは崖のくぼみにだけいるクモに目をつけたが、調査と言ってもカメラもなく無線もなく、クモの名前もわからない。そこで様子をひたすら観察し、絵に描いて記録していった。結局そのクモは北極圏では未発見の種だったという。

2回目の探検も先生と一緒だった。ニコルさんはホッキョクイワナと、北極圏で虫がどうやって動物の死体を分解していくかを調査した。

「イワナは食料として獲っていたから、ついでに調査したんです。動物の分解の調査には、撃ったカモメやホッキョクイワナを使いました。あの頃は狩りは自由だったのです」

その当時のノートを見せていただくと、本当に事細かに観察されていることがよくわかる。だが実際には、調査よりイヌイットと共に狩りをしていた時間の方が長かったという。

「3回目の探検は19ヵ月に及びました。Arctic Institute of NorthAmerica(北米北極圏協会)の調査隊の一員として世界一大きな無人島のデヴォン島に行きました。科学者がいない冬も越冬隊として残り、科学者が夏に使うための食料と燃料を島中に運んでいました」

まるでサバイバルのような経験だが、ニコルさんが何度も北極圏に足を運んだ理由はどこにあるのか?

「イヌイットの生き方に惹かれたから、ですね。人が生活する場所では世界一過酷な環境ですが、自由があって、戦争がなくて、美しい。自分の腕だけで狩りをして、旅をする。当時のイヌイットはみんなハンターでした。スノーモービルも船外機もなく、移動手段は犬ぞりとカヤック
でした」

イヌイットは笑いを絶やさぬ民族なのだという。長い期間日の光が届かず、寒さに耐えるためほとんどの時間を住居で過ごす。自然と話をする時間が長くなる。

「有名な物語はウンチ男の話です。あるハンターが、大きなアザラシの肉を食べました。そのあと出たウンチがあまりにも大きいので、周りの人に『見ろ、こんなに立派なウンチが出たぞ!』と自慢しました。自信を持ったウンチは立派な男になりました。ウンチ男は、冒険に出ました。ウンチ男は村一番の美女と恋に落ちたり、獣と戦います」

人によっていろんなつくり話が加えられつつも、話のオチは「結局彼はウンチでした」で終わる。また話をする時間が長いということは口頭伝承を発達させもした。

1846年、英国の探検隊が北極を探検した際に行方不明になった軍艦2隻があった。そのうちの1隻が2014年に見つかったのだが、そこはイヌイットの間では「古い船の場所」として伝えられていた海だったのだという。さらに驚くべきことをニコルさんは教えてくれた。

初めて北極圏をおとずれた際、先生(左)とニコルさん。

夏は10度くらいまで気温が上がることもある。

「しばらく気づかなかったのですが、実は先生は水が苦手でした。だからカヤックはもっぱら私が漕いでいました」とニコルさん。

これこそが、本当のアウトドア。  

着る服や道具は多くが軍用品だったという。

ニコルさんの調査ノートの1ページ。北極圏にいる鳥のことが詳細に書かれている。押し花ならぬ“押し蚊”付き。実はこのノートは2年ほど前にニコルさんのもとに返ってきたもので、それまでは先生が持っていたという。「先生は私のノートをもとに、少しずつ論文を発表していたようです。それを恨む気持ちは全然ありませんけどね。先生が亡くなられたので、私のところにノートが戻ってきました」

シロイルカの猟の様子。左がニコルさんで、それ以外はみなイヌイット。子どもも猟に携わっていたことがうかがえる。 

イヌイットの住居もノートに書き記していた。

ニコルさんにとって3回目の探検となった、調査隊の面々。

初めての探検の時、持っていった簡素なテントがあっという間に壊れてしまった。そこでニコルさんは先生の指導のもと、そこにあった石や 流木を使い、住居をつくった。

「私はイヌイットから『ショウセック』という名を付けてもらいました。微笑む少年、という意味です。今の私は『トゥニラガ』、頑固爺、ですね」と笑顔でニコルさん。  

もちろん見た目より機能最優先だったはずだが、今でも十分に通用しそうなスタイル。

マンモスの狩りの方法すらも今に語り継がれていた

「3回目の探検では、人間がどうやってユーラシア大陸からアメリカ大陸に渡ってきたのかを調査しました。ユーコンで人為的な傷がついたマンモスの牙を発掘したのですが、調査を手伝っていたイヌイットをからかってセイウチだと言ったところ、そのイヌイットが怒って『ここは海だった場所ではない。形もセイウチの牙とは違う。これはカイファルコエの牙だ』と。カイファルコエとは何かと研究者が聞いたら、イヌイットはすらすらと絵を描き始めました。それは紛れもなくマンモスでした」

テレビもなく英語もわからず本も読まない。つまり彼は口述伝承のみで、マンモスを知っていたのだ。

「また別の時、ユーコンから何千キロも離れたバフィン島で、私はイヌイットのお婆さんに『カイファルコエって何か知ってるか』と聞きました。そうしたら彼女は、それまで子どもと遊んでいたアヤトリでマンモスをつくって見せました。続けて、こう言いました。『男の上に男が立って、上の男の頭がカイファルコエの肩と同じ高さだ。大きな牙があって、長く強く黒い毛を持っている。それは編んでロープにする。茶色くて柔らかい毛は赤ちゃんのオムツやブーツの中に入れる』」

カイファルコエは集団で生活し、なかなか動かない。だからアノラックをカイファルコエの前でバタバタさせて興奮させる。向かってきたらアノラックを捨てて逃げ、また別のイヌイットが着ているアノラックをバタバタさせる。やがて疲れたカイファルコエを後ろからモリで突いて内臓を引っ張り出すか、足の腱を切る。周りのカイファルコエは守ろうとするが、やがて死んでしまった1頭を残して立ち去る……。そんな狩りの方法までも、イヌイットは口述で受け継いできた。何千年も前に絶滅したマンモスのことを、である。

「でも彼らの生活は大きく変わってしまいました。温暖化の影響で氷が薄くなってしまったため、犬ぞりを狩りに使う地域はほとんどなくなってしまったんです。今や犬ぞりは、観光やスピード競技のためのもの。狩りで犬ぞりを使っていたイヌイットは、犬を殺してしまいました」

我々日本人からすると何とかして犬を生かせなかったのか、と思ってしまう。だがそういうことではない、とニコルさんは言う。

「イヌイットと犬の関係は、そんなものではないんです。犬ぞりでは、ペースが遅い犬はそりから離してしまいます。ただし人間の水分補給のため1時間ごとに休憩する(冷たい空気を身体に取り入れるため体内が乾燥し尿毒性になる危険性がある)ので、その間に追いつける犬もいます。でもその犬は休憩時間が短いので、また次はさらに大変なのです。でもそれが掟です。餌として与えられるアザラシの肉は、体力のある犬から先に与えられます。最後の方は本当に少ない肉しか与えられませんが、それも掟です。犬がそりを引っ張ってくれないと、狩りができません。アザラシの脂がないと暖を取れませんから人間は死んでしまいます」

今や北極圏よりカナダの首都オタワの方がイヌイットの人口が多いという。だがイヌイットらしい生き方を少しでも未来に残すことができれば、とニコルさんは考えている。

「日本の、特に北海道やアイヌの文化を上手く取り入れることができればと思っています。たとえば、北極圏ではとてもいい昆布が取れますが、彼らはそれを生で食べるだけで保存しません。それから日本の技術を使えば、わずかな日の光でも野菜をつくることもできるはずです。生活基盤があれば、イヌイット伝統の生活を少しでも守ることができます」

HUNT Vol.15

「2頭のシロクマが私たちのテントを襲ってきました。やむを得ず私が2頭とも撃ちました。シロクマと私の距離は2メートルしかありませんでした」

狩りの最中に見つけた、ジャコウウシの骨。ニコルさんが肩に下げているライフルは、英国軍に制式採用されていたリー・エンフィールド303だという。

2015年にカナダ北極圏を船で旅した際のニコルさん。着ているのは、昔イヌイットから贈られたというアザラシの毛皮を使った美しいコートだ。

text:Yoichi Sakagami

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