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2021.01.01

ダットサン「240Z」「510」が伝説となった1971年から50年! みんな大好き「BRE」を振り返る! 【ヴィンテージライフU.S.A.】

1970 DUTSUN 240Z:1970年、1971年と連続してSCCA Cプロダクション、そしてARRC、二つのにタイトルに輝いた240Z。BREでのレース退役後にクラッシュしたため、残念ながら現存しない。

自動車大国アメリカでの販売車数は、自動車ビジネスでの成功の指針となる。

そして自動車レースでの勝利こそが、巨大マーケットでの販売を促進すると確信した欧州の自動車メーカーは、1950年代初頭より、こぞってアメリカのサーキットを目指した。

中でも1950年代から1960年代にかけては、MGやヒーレー、ジャガーなど英国スポーツカーの独壇場となる。

1950年代半ばから、アメリカへと輸出されるようになった日本車であるが、当時のアメリカ人の持つイメージは、小さくて非力、未成熟な自動車という程度のものであった。

【写真7枚】BRE 240Z、510、ピートブロック氏はこちら
 
1960年代のレースで頭角をあらわす日本車たち

そうした認識にしか過ぎなかった日本車が、1960年代中頃に登場したホンダS800やトヨタ2000GT、DUTSUN、フェアレディなどによって、大きく印象を変えた。

それぞれのメーカーは独自のアイデアに溢れ、スタイリングだけでなく、いつしか欧州車とも互角に競争できる性能を持ち合わせるまでに成長したのだ。

そうした日本車メーカーと積極的にレース活動をしていたのが "Brock Racing Enterprises(BRE)"。それまでシェルビー・アメリカンに在籍していたピート・ブロックが設立した新進気鋭のレーシングチームである。

BREを率いるピート・ブロックは、高校を卒業後、全米でもトップクラスのスタンフォード大学工学部へ入学するもすぐに退学し、アートセンター・カレッジ・オブ・デザインに入り、カーデザイナーを志す。

在学中19歳のときに、ゼネラルモータース(GM)のスタイリングデザイン部門にて、最年少デザイナーとして働き始めるのだが、このときにデザインしたプロトタイプレーシングカーのスケッチは、ブロックがGMを去った4年後、1963年に"Sting Ray"として市販化されることになるのだ。
 
短期間にタイトルを総ざらい

1961年からは、シェルビー・アメリカンのスタッフとして、商品からロゴ、広告のみならず、GT350や、はじめてのFIA世界選手権で優勝したアメリカ車のレーシングカー、デイトナ・クーペを設計するなど、レーシングカーデザイナーとしても頭角を表す。

満を持してBREを設立した1966年には、日野コンテッサ1300をレーシング仕様へ仕立て、"チーム・サムライ"のドライバーをも兼任。

ブロック自らもステアリングを握り、西海岸のレースで活躍をするが、トヨタの日野吸収により、その活動は夢半ばとなった。

そして1968年、ブロックはニッサンに直談判の末、2台のフェアレディ2000(SRL311)と予算を獲得する。戦闘力に懐疑的であったニッサンの不安をよそに、見事勝利していく。
 
BRE 240Z、510伝説の年となる1971年
 
1970年、SCCA(スポーツカー・クラブ・オブ・アメリカ)プロダクションCクラスでBRE 240Z No.46を投入し、見事チャンピオンに。なんと翌年の1971年もチャンピオンに輝く。
 
ドライバーはゼッケン46番のエース、ジョン・モートンであった。
 
そして、今から50年前の1971年、SCCA TransAM2.5の第2戦でBRE 510がデビュー。
 
ボディを徹底的に軽量化し、BRE 240Zに搭載されていたL24エンジンをリファインした165馬力のL16エンジンを搭載したこのマシンは、ライバルのBMW、アルファロメオを倒すために開発されたものだ。
 
この510で1971年、DATSUNは見事マニファクチャラー チャンピオンに、ドライバーのジョン・モートンもドライバーズチャンピオンに輝く。
 
1972年にはさらにパワーアップされたL18エンジンを510に搭載し2年連続でダブルタイトルを獲得。
 
このことが北米マーケットでニッサンが成功する一因にもつながっていったのである。

そして、トリコロールに2本のラインが印象的なBREカラーは、今なお私たち憧れの存在となっているのだ。
 
【VINTAGE LIFE U.S.A.】

Text:Junichi Okumura (奧村純一)

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