1980年代に入り、クルマは大衆にも普及し、所有するだけで嬉しい贅沢品から、手を加えて個性を出したり、あるいは娯楽の対象としても親しまれるようになった。
そんな時代にチューニングカーブームが到来したのは極めて自然な流れでもあった。
しかし現在よりももっと国産車がプリミティブでピュアだった時代、それをイジって速くするという行為は快感でもある反面スリリングであり、時に死と隣り合わせという危険性をもはらんでいた。
そんな時代に生まれたHKS M300というマシーンの記憶。
どうにも自分には頭にこびりついて離れない1台のクルマである。
【写真8点】「セリカXX」ベースの「HKS M300」作例を見る! 1980年代谷田部の最高速アタック 徹底的にチューンされたM300の記録は301.25㎞/h。ついに国産車ベースのチューニングカーが時速300キロの壁を超えた瞬間だった。
1980年代の谷田部テストコースにおける最高速アタック。
日本中から名うてのチューナーたちが熾烈なスピードバトルを繰り広げていた時代。そこには異様な熱気と興奮があった。
アタック車両のベースの中心はL型のフェアレディZで、そこにロータリーのRE雨宮、当時はアメリカ車をチューンしていたトラストがしのぎを削っていた。
そこに突然現れたゲーリー・光永氏のLS7パンテーラ。初トライでいきなり307.69km/hをマークした。
それまでなかなか時速300キロを突破できなかった国産車勢をノックアウトしてしまったのだ。
チューナーたちは“打倒光永パンテーラ”を決意するも、その想いは突然断ち切られてしまう。
日本一の座に輝いた光永氏は記録達成の数日後、そのパンテーラとともに事故を起こし、天に召されてしまった。
それから半年近く、挑むべき相手を失った彼らはチューニングをやめてしまったのだ。
しかし光永氏を忘れないためにも、彼らは再び立ち上がった。
谷田部最高速アタック再開。今度は国産車で300キロをマークしよう。
公道レーサーでもあった彼らは、クローズドコースで記録にチャレンジするストイックさも醸し始めたのだった。
新興チューナー「HKS」が作った怪物! しかし1982年の2年後、’84年の春、新興チューナーであるHKSがとてつもない怪物を作り上げる。
その名はHKS M300。セリカXXをベースに最高速重視の前後ボディ延長、外板はほぼFRPに交換された。
エンジンは5M-GEUベースのツインターボで当時としては超弩級の600psオーバーのパワーをものにしていた。
徹底的にチューンされたM300の記録は301.25km/h。
ついに国産車ベースのチューニングカーが時速300キロの壁を超えた瞬間だった。
この記録について、他のチューナーからは、「あんなのもうレーシングカーじゃないか、反則だ」といった意見も寄せられたが、同時期の日産ワークス製シルエットフォーミュラ軍団でもそこまでの馬力の車はいなかった。
レースカーどころではない規格外のモンスターだったのである。
もともとHKS創立者の長谷川氏は、ヤマハに在籍していた技術者。
トヨタ7ターボ等に関わっていた人物である。
M300はチューニングカーの枠を超えていた、彼の元ヤマハの技術屋としての意地の結晶だったのではないか、と個人的には思っている。
今回製作したのはそんなHKS M300である。 フジミ製セリカXX2.8GTで製作 ベースはフジミ製エンジン付きハイメカシリーズのセリカXX2.8GT。まずボディ前後をカットし延長。次いでポリパテとプラ板でブリスターフェンダーとスポイラー、サイドスカートを製作。
フードもエア抜きとルーバーを追加加工。ボディはスジ彫りを全てやり直し、テールのウイングはプラ板加工。
リアウインドウパーツは熱戦モールドを削り落とし。ライトカバーはバキュームフォームで製作した。
どうやらM300のエンジンはフロントミッドマウント化されていたようで、バルクヘッド周辺はほぼ自作になっている。
デカール類は自作。塗装はクレオスクールホワイト下地に、ガイアカラーのピュアホワイト。ウレタンクリアーでオーバーコートした。
エンケイ特注品と言われるホイールは、形状が似ているハセガワランチア037ラリーの物にジャンク部品のワイドリムを組み合わせ、タイアはフロントがマルイハコスカGT-Rレーシング用、リアはフジミのR32GT-RグループA用を使用。
ロールケージは自作、イタルボランテステアリングはアオシマAE86用、ドアインナーパネルはプラ板自作となる。
エンジンは基本的にキットのものを使うが、ターボ系補器類は自作部品と田宮R32GT-Rのものを加工流用し、パイピング類を追加したものを、バルクヘッド寄りに後退させて搭載している。
【写真8点】「セリカXX」ベースの「HKS M300」圧倒的ディテールを見る! “光永パンテーラ”の作例がこれだ!
さて、輝かしい栄光のマシーン、 M300であるが、 このクルマには唯一の心残りがあるのではないだろうか。それは、あの光永パンテーラと戦えなかったことである。
こちらは以前に後藤氏がモデル・カーズ本誌の作例として製作した1台で、文中にあるレジェンダリーな“光永パンテーラ”である。
掲載時からさらにフロントマスクやタイヤ&ホイールなどに手を加えて解像度をアップさせている。
modelcars tuning 其の10